110東横線引退

昨夜の渋谷は、人口が一気に数倍増えたような気配でした。陸橋の上の黒い集団は異様でした。
昨夜で100年近く慣れ親しんだ東横線が姿を消すこととなったのです。愛や憎しみの光景を思いを淡々と運び続けてきました。まさに感慨無量。思わずシャッターを押す指に力は入ります。
邪魔をしないようにフラッシュを焚かないようにとアナウンスが流れます。
これで、池袋の先から横浜へ中華街へワンウエイで黙々と働き貢献するのです。


109
少年を母校上智大へ合格させる

スタッフの一人が、 たまたま出会った少年を上智大に合格させたと、、。「一寸 ホットなニュースがあるのですよ。」から始まった話。
それはソモソモ一人寂しそうに遊んでいた少年に声をかけたのが発端であった。その後 母親が「時々話し合って見てもらいたい。」との挨拶があったらしい。
 やがて月に1,2回の割で自宅に遊びに来るようになった。そしておよそ10年の月日が流れ、ついに弊社講師の彼の母校 上智大に合格したと言う。何と映画のも劣らない良く出来たストーリーである。
彼は何度もここで紹介したようにその少年に劣らず生まれたまんまの純真な無垢な少年のよう性格である。
一人でもマトモに成長させることができれば、その人生は一端だと思いたい。このスタッフと、やはり10年の間一緒に同じ方向を見てこられたことは私の誇りでもあり、ある意味勲章である。
昨夜はホットなお話しでシミジミ幸せでした。もっと興味があるのはその少年にも英語を教えたことはないそうな、、、。

108 あけましておめでとうございます。
誕生日は1月1日の元旦。おめでたがダブルできました。とはいえ誰にも祝ってもらったためしがない。まー、自分も忘れている。
若いはずだ。今 生涯で一番健康そのモノ。人生これから、、、。

107母親の勲章

昨夜も ある母親の話を拝聴しました。拝聴した言いたい理由は、この厳寒の夜 来社頂き長々と語って頂く情熱に脱帽したのです。
切々と語られるその内容、その表情に背筋がシャンと伸び、その姿勢を正す思いで、聴き入りました。 私共講師は 、他人様の子育ての掛け替えのない時間を共有させて頂き、生涯の思い出にしようと誇りにしようと、ムシに良い都合の良いことを念頭においています。
母親にとっては、結果如何では、いやそれ関係なく。命に代えても守りたい我が子への日々が勲章です。何と幸せな私たち講師でしょう。腕まくりして取っ組む値打ちがあるのです。

106 講師の幸せな日
7,8年間 英語を学習していま中国駐在の旧会員が、今日訪ねて来てくださる。何故か急に休暇が取れたと、、、。

嬉しい!!この感激で病気が吹っ飛んでいってくれる保証があれば良いのに。スタッフと共にランチを楽しむ。           空気感染に細心の注意をしながら(情けない話だ)。中国の電気店の店員は、昼食時店先で、ご飯を炊き、スープまで作って食べる。電気釜もパンも商品であると。電気製品など道具はすぐ故障するがすぐ修理屋がどこからともなく普段着で飛んできて修理してくれると。話しにハナが咲いた。面白い楽しい大輪の花が。旅行では到底想像出来ないこと気が付かないことばかりだ。今も担当した当時の文法ノートを読み返していると、今 尚少しでも役立っているかと思うと、ここでは泣けた。もう泣いても笑っても涙涙。レストランはスタッフ全員が中国人の中国料理店。彼は中国語も話せるようになっていた。人柄だろう、彼が居ると何時逢っても、話してもホノボノする。お土産は日本製の焼菓子。このほうが喜んでもらえるだろうと。至福の時を過ごした。 

105「それをやめれば健康になる」昨今は、製薬会社の影響力が大きくなったせいかどうかわかりませんが、3種類どころか平気で10種類20種類と数多くの薬が処方されます。しかも長期にわたり処方されるわけですから、非常に危険な状態といわねければなりません。
    体内で体内でなにが起こるか、処方した医者でさえ、あるいは神様でさえわかりません。
    ドクターズルール425 医師の心得集. 「それをやめれば健康になる」 岡本裕
     「それをやめれば健康になる」岡本裕



今日皆さんが、薬を飲んで事なきを得たとすれば、それは当たりまえの事ではないのです。
今回たまたま銃倉に銃弾が込められてなかっただけなのです。非常にラッキーだったがけです。
そのラッキーが明日の続くという保証はどこにもありません。

アメリカは、リベラルなお国柄にせいか薬の犠牲者を年間で約10万人にのぼると数字で公表しています。 アメリカの人口は日本の2,4倍です。
アメリカも日本も愚かさとう点では似たような状況かも知れません。  

昨今は、製薬会社の影響力が大きくなったせいかどうかわかりませんが、3種類どころか平気で10種類20種類と数多くの薬が処方されます。しかも長期にわたり処方されるわけですから、非常に危険な状態といわねければなりません。
体内で体内でなにが起こるか、処方した医者でさえ、あるいは神様でさえわかりません。
    ドクターズルール425 医師の心得集. 「それをやめれば健康になる」 岡本裕


104 私たち講師の幸せ

親子面談をしていると、長年の経験で母親のその家庭の役割や地位が見える。
そういう母子を見て何度も熱くなり燃えてここまで来ることができた。日本の女性は聡明で素晴らしい。だから家庭を牛耳る大蔵省であり子供を立派に育て次世代に委ねる。会員同様 同数の彼の彼女の母親の顔と、多種多様なドラマが浮かぶ。母子が好きだという感情に単につき動かされているだけかもしない。
まー、単細胞ではある。数えられないほどの良いカップルの母子に逢った。逢っているそして出会えるだろう。授業を担当しその努力の結果を出し続けると言うことは義務だけでもないかと思える。そこにはやはり愛がある。教育は単に愛以外のナニモノでもないのかも、、、。まして子供は母親の期待は裏切らない。私たちスタッフもこの愛に自ら進んで鍛えられ成長し、今日がある。幸せモノだ。

103.空腹が健康を作る 
 絶食をしたり、一日一食にしたりすることで健康状態を大幅にアップさせることができると、今やさまざまな健康に関する本で言われています。その主旨は、人間も含めあらゆる動物がその進化の長い歴史の中で飢餓を生き延びてきたからだというものです。確かに野生動物のドキュメンタリーを観ていると自然界では食べ物がない場合が多いようですし、人間の歴史の中でも毎日三度飽食することができるようになったのは、王侯貴族をのぞけば先進国でここ数十年可能になった現象に過ぎません。日本でも戦後の高度成長期を迎えるまで、大半の庶民の食糧事情はよくなく、栄養失調も普通のことでした。

 ところが食生活がかつてとは比較にならないほど豊かになった現在、以前は稀だった糖尿病、脳梗塞、心不全を初めとする生活習慣病が蔓延しています。やはり食生活との関係が深いがんも急増の一途のようです。また家畜やペットなど人間に飼われて不自由なく餌をもらっている動物も、自然界の動物のように健康ではないといいます。これは、いったいどういうことなのでしょうか。

人間も含めあらゆる生物は、頻繁な「空腹」には適応してきても現代になるまで常時の「満腹」には適応したことはなかったのです。人間にしても食べ過ぎの高血糖状態に対して唯一インスリンが分泌されるだけで、そのインスリンすら無制限に効果が続くわけではありません。インスリンが効かなくなった結果が糖尿病です。高コレステロールや高中性脂肪にいたっては対処する手段すら身体は持ち合わせていません。それは、そういう状態が歴史上なかったために必要がなかったからです。

一方、長い進化の歴史の中で、食料の不足(往々にして飢餓)を長期間経験してきた生物は人間も含め、それを逆手にとって自らの健康を高めたり寿命を延ばしたりするような仕組みが体の中にできあがっていると現代の科学で明らかにされています。たとえば最近有名になっている長寿遺伝子である「サーチュイン遺伝子」も、食事のカロリーを通常の四割減にして空腹を感じたときに発現し、あらゆる生物の細胞を若返らせます。動物園では、元気がなくなった動物に2、3日絶食させると、また元気を取り戻すそうです。

現代人の大半は、あらゆる人に備わっていることがわかったこの長寿遺伝子を飽食の食習慣のためぜんぜん働かせていません。まったくもったいないこととしか言いようがありません。本来身体が必要としている栄養に気を配っていれば一日一食でも、また普段の生活に規則的に絶食を取り入れても、健康にとって大きなプラス面がありこそすれマイナス面などまったくないそうです。現にこうした食事制限を行っている医師などの人たちは、大変健康で若々しく見え、事実上の身体年令の指標である血管年令も実年令よりはるかに若いなどといいます。一日一食を10年間実行している有名な南雲吉則先生は、今56歳でありながらせいぜい30代半ばくらいにしか見えず、驚異のほかありません。血管年令は、なんと26歳だそうです。

102.さて、彼の将来は ? 
 弊社の最初の監査役である弁護士は、東大を卒業し戦後すぐ米国の大学学び、サラブレッドを絵に描いたような経歴の持ち主でした。
 彼 曰く 『勉強は大嫌いで逃げ回っていたが、試験は実に面白い。出題者の裏をかくのが、これがたまらない。私は、決して乗せられたことがない。試験は技術なのさ。』っと。
  当教室にも、時どきそうした類の学生がいます。
  勉強は、まるで大嫌い、努力もしない、遊びは大好き。集中力がなく、散漫で、落ち着きがない、そして全て遊びの方に向かってしまう。
 しかし文法力、単語力、発音等関係なく、英検等試験には高得点で合格するのです。長文も決して全文を読んではいない。読めない。
 
 驚くことに、英検の問題で10人中 10人 が苦手で、時間を要する皆さんご存知の例の2番と5番にくる単語の番号を示せという問いです。彼は、それが得意中の得意で,サクサクできてしまう。彼の頭はどんな構造になっているのでしょう。 カードゲームでも、あらゆる手段を用いて絶対に彼が勝つ。ゲームのスタート前には、一瞬、 思慮深い表情になるのが伺える。
 
 オクト−バーの語源になったジュリアス. シザーの甥 オクタ-ヴィアスは、弱弱しい性格で,病弱であってのも拘らず、どんなゲームには勝利したと言う 、、、。学生の将来を思う時、そこに何か大きなヒントがあるように思えます。


101.「マリカで学んで」
娘の小学校入学を機に、時間にゆとりができ何かに打ち込んでみたいという思いが強くなりました。色々と検討した結果、「そうだ、英語をもう一度学んでみよう。」と。

しかし、思い返すと大学受験になりふりかまわず英語を勉強をして、入学した大学ではその反動で全くといっていいほど学ぶことを忘れてしまった私です。当時文系の学生は英文科でない限り、あるいは英語に関してよほど目的を持たなければ、単位を取ることのみを目標にしてました。
やがて、就職の時期となり、ようやく重い腰を上げて英語を含む様々な資格を習得しましたが、「若さ」ゆえ勢いと記憶力で難なくクリアーしたというのが事実です。就職先はもちろん英語とは無縁でした。それから数十年・・・結婚をして子供にも恵まれ、無我夢中で子育てに取り組みました。可愛い時期はあっという間に過ぎ、幼稚園入学と同時にギャング・エイジに突入。毎日幼稚園の先生やママ友達に頭を下げ、帰宅すれば大量のお洗濯物、食事の世話などなどに明け暮れる毎日でした。もちろんそこには「英語を学ぶ」余裕はありません。
もはや、英文法はもちろんのこと、ABCも怪しい・・・。
 
そんな状態の私でした。とにかく、基礎から教えていただけるところを見つけよう。じっくり取り組もうという気持ちで「マリカ」の門を叩きました。岡田先生とお話しした後、「これを訳してみていただける。」と差し出されたのはCROWNの教科書、たしか中3か高校1年生だったかと思います。ほんの1〜2行を辞書無しで訳してみたところ・・・額から汗。とにかくしどろもどろに必死に訳しておりました。優しい岡田先生は「大丈夫ですよ。」と慰めてくださいました。こうして、私の再チャレンジが始まりました。学び方はクラウンの教科書本文をノートに書き、訳し、重要な文章をひたすら読み、ノートに書いて覚えるというシンプルな方法です。しかし最初は訳せるのですが、私の場合「発音」が最悪でした。しかし岡田先生を始め、笹原先生、高橋先生は大変綺麗な発音でした。もしかすると諸先生方は幼少の頃から英語に慣れ親しんでいるに違いない。あるいは帰国子女なのかしらと思いつつ尋ねてみると、「違いますよ」とのお返事に大変驚きました。また、英文法の解説も大変解りやすく、きめ細やかで、時折英米文化のお話等を交えてくだいました。
 
 
正直な話ですが、学生時代に「マリカ」で学んでいたならば、もう少し違った人生を送ったかしらとふと思いました。やがて、中3までの総復習が終わり、高1の教科書に進みました。徐々に難しくなりましたが、丁寧に読み、書き、覚えてから次へという方法は変わりません。高1の教科書半分進んだあたりで英検準2級と2級受験に挑戦しました。
実はこの時点で「マリカ方式」を信用しようと思い、書店で売っている英検対策の参考書は一切買いませんでした。岡田先生のアドバイスに従い、あまり手を広げず、単語・熟語等もクラウンの教科書に出てきたものをまとめ、覚えました。2次面接対策も笹原先生、高橋先生にご指導いただきました。多少は上達したものの、相変わらずの拙い発音、会話のやり取りにも関わらず、最後まで諦めず粘り強く教えて下さいました。本当に諸先生方には感謝しております。今、マリカのHP等を見て、迷っている方も多いと思います。中学・高校生・大学生の方でしたら本当に「人生が変わる。」かもしれません。英語を武器にすれば、将来の進路選択の幅が広がります。社会人、特に専業主婦の方にもお勧めです。私もABCが怪しいぐらいに能力は落ちました。でも、じっくり取り組む時間を週に1回〜2回作ってみてください。努力は人を裏切りませんから。

100.ファイトケミカル 
現在、多くの医師たちは、生活習慣病が現代に蔓延しているのは現代の栄養学が間違っているからだと断言しています。その批判の一つは、現代医学がタンパク質、脂肪、炭水化物、ビタミン、ミネラルのみを基準にして食品の栄養価を考えているというものです。すでに食物繊維が第六番目の重要な栄養素だということは知られつつありますが、今健康に必須の栄養素としてファイトケミカルが大きな注目を集めています。 

 ファイトケミカルというのは、植物性の食品にしか含まれていない物質で、今やがん予防から長寿にいたるまで人間の健康に絶対不可欠であると言われている物質です。その中で多少なりとも今の日本人に知られているものは、リンゴ、ブドウ、赤ワイン、カカオ豆などに含まれている「ポリフェノール」、大豆に含まれている「イソフラボン」や「ギャバ」、各種果物に含まれている「フラボノイド」、緑茶に含まれている「カテキン」、トマトに含まれている「リコピン」などでしょう。

これらのファイトケミカルは、肉、魚、卵、乳製品など動物性食品にはまったく含まれていないので、野菜、果物、豆類、キノコ類、種子類などの植物性食品を摂ることでしか補給できません。しかも加工すれば多くが失われてしまうので、なるべく生の形や加熱時間の短い調理でしか十分な量を摂取できないそうです。またファイトケミカルは、一般にカラフルな植物性の食材にたっぷり含まれているそうですから、緑、赤、茶、オレンジ、黄、紫、青、黒などさまざまな色を持った野菜、果物、豆類、キノコ類、ナッツ類、種子類などをまんべんなく選ぶといいようです。

これまでアメリカでなされた様々な研究によると、世界の長寿地域に暮らす人々は皆、このファイトケミカルの多い食事=植物性食品中心の食事をしているそうです。
 

そうした長寿地域の一つとして沖縄のことも書かれていますが、伝統的な沖縄の食事は圧倒的に野菜、果物、豆類(豆腐)、イモ類、海藻などが中心です(豚肉は、かつては正月など祝い事のときに年に数度食されるだけだったそうです)。 一方、多くの現代人はというと、肉、乳製品などの動物性食品、白米、白いパン、麺類、砂糖、油などの精製食品、そして加工食品などファイトケミカルがまったくないか微量しか含まれていない食品が食生活の中心です。ファイトケミカルが著しく不足している食事は、免疫力の大きな低下をもたらすということが医学的データによってすでに十分に裏づけられているそうです。現代の先進国といわれる国々では、アトピーや花粉症など数十年までは聞いたこともない一種の「奇病」が蔓延しています。がんの発生率も高まる一方だそうですが、自然の食物を自然のまま、つまり生で食べている自然界の動物は、人間やペットのようにがんになったりしないらしいです。 

現に、いろいろな野菜や果物には、がんの発生を抑制するファイトケミカルが含まれているそうですが、現代人は精製したり加工したりした不自然な食品ばかりを多く食べ、自然界とのつながりを断ち切ったことで、自然の植物がせっかく与えてくれる恩恵を受け取らないでいるのです。
1970年ころまで、日本の人口当たりのがん発生率は欧米に比べ低くて、欧米の医療関係者から不思議に思われていたそうですが、現在の日本のがん発生率は欧米並みです。あるアメリカの著名な医学博士は、現在の日本の食生活を分析し、高いがんの発生率の原因をずばりファイトケミカルの不足に帰結しています。つまり今の日本人は、一見飽食でありながら栄養失調状態にあるというのです。 

 ファイトケミカルは、がんを予防するだけではないそうです。この十年ほどでSARSや新型インフルエンザなど新しいウィルス性の病気がマスコミに取りざたされていますが、弱くなっている現代人の免疫力も問題です。ファイトケミカルを十分に摂取していれば、こうしたウィルス性の病気にも簡単にはかからなくなるといいます。何億年もかかって進化してきた人間は、本来依存していた自然なものを食べていれば強い免疫力を発揮できるからだそうです。私自身、生の野菜や果物を含め植物性の食品をたくさん食べるようになって、不思議と風邪もまったく引かなくなりました。

99.ナチュラル・ハイジーン

 今年、私が読んだ健康医学の本の中で最も衝撃を受けたのは、ナチュラル・ハイジーンという今のアメリカで一番知られている健康法に関する数冊の本です。その理論と実践を書いた『フィット・フォー・ライフ』という核心的な本は、1980年代に全米で40週間連続一位のベストセラーとなり、これまで世界で累計1200万部も売れたという大変有名な本です。この本は、世界の名著ベスト25にも選ばれたそうですが、この本を初め、その訳者である松田麻美子という人の著作も読んで、私はこれまでになかった新しい視点を得ました。

ナチュラル・ハイジーンについて書かれている本によると、自然界の動物は大人になるまでの年数の6倍から8倍の寿命を生きるといいます。そして草食動物が肉食動物に捕獲されて死ぬことを別とすれば、ほとんどが病気ではない自然死をするそうです。また自然界の動物は、人間や人間によって餌をもらっているペットと違って、がん、糖尿病、高血圧、骨粗そう症、心臓病、脳梗塞などの病気になることはないそうです。
 

 それに対し、人間はどうでしょうか。20歳で大人になるとしても、その6倍である120歳まで生きる人はごくまれです。しかも老衰で自然死をする人は統計的に3パーセント未満らしく、たいていは、がん、糖尿病、心臓病、脳梗塞などの病気に苦しみながら死んでいきます。ナチュラル・ハイジーンでは、その根本理由を人間(特に現代の人間)特有の誤った食生活にあると結論しています。

 まず人間は、食べるものそのものが大きく間違っているというのです。自然界の動物は、草食動物は草や葉だけを、肉食動物は肉だけを食べています。一方、人間は、その歴史の中でいろいろなものを食べてきたので雑食動物のように考えられていますが、歯、胃腸の形状などを見ると、生物学的には本来、果菜動物、すなわち果物や野菜を食べるようにできている動物だといいます(歯の化石から見ると、実は古代人も主食は果物で、考えられているほど肉を多く食べてはいなかったそうです)。 

遺伝子の点で人間とほとんど同じチンパンジー、ゴリラなどの霊長類の本来の日常的食物は、そのすべてか、ほとんどすべては果物と野菜(草と葉)です。ところが現代人は、歯、胃腸の構造がまったく異なる肉食動物であるかのように肉を多食し、成長した自然界の動物が決して口にしない乳(しかも他の生物である牛の乳)を、乳製品まで含めると大量に摂取しています。他にも魚、卵など動物性食品を加えると、現代人の食事の大半を占めているのは動物性食品と、白米、白いパンや麺類、あるいは砂糖などの精製された穀物です。さらに油、塩からコーヒーにいたるまで不自然に抽出された食品も大量に摂取しています。ナチュラル・ハイジーンは、現代人の誰もが普通だと思っている、この食事の内容を改め、人間により合った果物、野菜、豆類、未精製の穀物(玄米、小麦全粒粉のパン、麺類など)を主に食べるべきだと提唱しています。 

さて消化器官に合っていない食物を主に食べているだけでなく、食べ物の大半を加熱、加工して食べているのも現代人の特徴です。それに対し、自然界の動物は、食べ物を100%そのまま生で食べています。生の食物には、あらゆる生命活動に不可欠な酵素が豊富に含まれていますが、加熱、加工した食物には酵素がまったく含まれていません。そのような不自然な、酵素のない食物ばかり食べていることは、人間とペットが自然界の動物にとって無縁である様々な病気に苦しめられている大きな一因だと考えられるそうです(因みに医学界では、酵素が尽きるとき=寿命が尽きるときだと、今日広く認識されているようです)。
ナチュラル・ハイジーンでは、その他にも人間が過食するだけでなく、空腹でないときにまで食事をすること、もっぱら一品だけを食べる自然界の動物と違って異なった種類の食べ物を滅茶苦茶に組み合わせて同時に食べること(異なった食べ物には、異なった消化酵素が必要なので、同時に食べると消化酵素が混ざり合って消化に大きな負担になるといいます)なども、腸内に大量の毒素を生み出し、ひいては人間特有の様々な病気につながると考えています。
 

人間は、いくら文明化したからといって胃腸を初めとする身体的特徴は生物学的に他の動物と基本的に変わりません。そんな人間が食生活で自然界の動物からいかに逸脱しているかを私たちに教示してくれ、本来の自然な食生活に立ち返るよう提唱しているナチュラル・ハイジーンは、現代日本社会で激増している生活習慣病の多くを説明してくれるように思われます。  

最後に、ナチュラル・ハイジーンが非常によく知られるようになっている現在のアメリカでは、がん、糖尿病、心臓病、脳梗塞などの生活習慣病が、日本と違い減少傾向にあることを記しておきます。それだけではありません。ナチュラル・ハイジーンを実践している人たちの多くは、優に100歳以上までいたって健康で長生きしているそうです。実際、最近出ている健康医学の本に書かれていることは、どれも基本的にナチュラル・ハイジーンが提唱していることを裏付けています。


98.海外生活と英語と、、。


 英語のプロを目指して渡米した友人知人が思い出される。高校から渡米し大学に入学前に日本で英語力を磨くために帰国したスタッフがいた。
 郵便局で現銀封筒を送金するのに複写だという事が理解できていない。そうした常識が時々空白になっている。東大生のアルバイトは入ってきた。
 数学も担当できるかと尋ねると、出来ないと、、、。彼女は中学高校と米国の学校を卒業し、米国の大学の途中で弁護士を目指して帰国し東大に入った。
 将来的にはベターだろうと、、。彼女の弁護士を目指した動機はというと、米国で随分、いじめらしき環境であったらしい、それを弁護士になって復讐したいという事だった。
冬でも薄いコートで、ビラ配りに精をだしていた。
 
 目的の方向転換をして一日の早く弁護士になってもらいたいと願った。
 その素敵な旧会員に、英語だけではたおて通訳になっても食えるとも思えない。今の堅実な仕事を続行するようにと渡米を止めた時のことが思い出される。
 さて スタッフは彼にどんな内容のe-mailを送信しただろうか。
 

97.糖化とAGE(エイジ)

 健康を損ない、老化を促す要因として「酸化」ということが言われていることは、多くの方が聞いたことがあると思います。具体的には、食べ過ぎたり運動をし過ぎたりすると細胞内のミトコンドリアがフルに働かなければならなくなって、活性酸素を過剰に生み出し、この活性酸素が体の細胞をどんどん老化させるということです。酸素によって細胞が老化することは、同じく酸素によって鉄が錆びることに例えられます。

 今、いろいろな本や雑誌には、「酸化」に加えて、「糖化」が健康を損ない、老化を促す作用として書かれています。糖化とは、一言で言うなら体内に溢れた血糖が全身の細胞を傷つけてしまうことです。

血液検査をする時は普通空腹時の血糖値を測りますが、今では食後一時間たった時の血糖値も重要な意味を持つと考えられています。食後一時間たつと血糖値は最大になりますが、この時の血糖値が高く、血糖が余っている状態になると、この血糖が体内のタンパク質と結びつき、AGE(エイジ)という物質に変化するといいます。このAGEは体内で大変な破壊作用を起こすらしく、血管から皮膚、内臓にいたるまで全身の細胞をぼろぼろにし、結果的にどんどん老化を促進してしまう恐ろしいものだそうです。もちろん血糖値が上がると、すい臓からインスリンが分泌され、その働きで血糖が細胞に吸収されるわけですが、そもそもインスリンが大量に分泌される状態は、すい臓を疲弊させ、ひいては糖尿病につながる危険があります。また100歳を超えている長寿者の特徴として、血中のインスリン値が低い(つまり血糖値が低めである)ことが挙げられるそうです。ですからインスリンは、あまり分泌されない方が体のためにはいいらしいのです。

インスリンが働かなる糖尿病になると、大量のAGEの作用で様々な恐ろしい合併症が出てくるわけですが、糖尿病にならなくてもAGEをなるべく生み出さないような食生活を考えなくてはなりません。今、健康に関するいろいろな本や雑誌を読んでいると、「GI値」という言葉が出てきます。これは、ブドウ糖の注射をしてから一時間後の血糖値の上がり方を100として、食べてから一時間後にいろいろな食品が血糖をどれだけ上げるかを数値で表したものです。糖質はエネルギー源として大切なものではありますが、このGI値が60を越す食品は食べ過ぎないよう気をつけなければならないそうです。

GI値がもっとも高いのは、意外にも砂糖ではなく、フランスパン、食パンなど白いパンです。それに続いて白米、うどんなど精製された穀物と、ケーキ、クッキーなど精製された小麦粉と砂糖を使った洋菓子類が最もGI値の高い食品です。玄米、そば、小麦全粒粉のパンなど未精製穀物はGI値が低めなので、白いパンや白米よりずっと健康にいいということになります。果物は甘いですが、GI値は決して高くないので安心して食べられる食品です。またブラックチョコレートなどは予想に反してGI値が低いので、どうしてもお菓子が食べたくなった時の選択肢になります。

さて白いパンや白米を完全に排除した食生活は理想的だとは言っても、外食の避けられない実際の現代生活では難しいので、どうしたらいいかということになります。方法は二つあります。一つは、白いパンや白米を食べるなら少な目にして、過食しないということです。もう一つは、たっぷりの野菜を先に食べ、白いパンや白米を食事の最後に食べるという方法です。そもそも玄米など未精製穀物のGI値が低いのは、糖質が胚芽、糠(ぬか)など食物繊維にくるまれているため、糖質の吸収が遅れ、ゆっくりとしてものになるからです。白米や白いパンを食べても、先に食物繊維の多い野菜を十分に食べておけば似たようなことが起こります。つまり野菜の食物繊維が糖質の吸収を遅らせてくれるわけです。

いずれにしてもGI値を意識しておくだけで、糖尿病を予防することになり、効果的な老化対策にもなるわけですから、食品のGI値を知っておくことは健康上、大変役に立ちます。




96.アメリカ人の食事と健康(1)

 今アメリカでは健康志向が強く、ヘルシーな食事がもてはやされています。しかし私がアメリカで暮らし始めた1980年代後半などは、状況は違っていました。今回は、私がアメリカ滞在中に見聞したアメリカ人の食事と健康についてお話したいと思います。

 最初にアメリカでびっくりすることの一つは、どんな食べ物でも一人前とされる分量が圧倒的に多いことです。レストランで出てくる食事は言うに及ばず、飲み物でもアイスクリームでもアメリカでのSサイズは日本でのMサイズ、アメリカでのMサイズは日本でのLサイズです。かつて私はアイスクリームが大好物でしたので、シングルスクープなのに日本のシングルスクープの倍くらいたっぷり盛ってくれるのに感動したものです。またアイスクリームサンデーも優に1,000カロリーを超すくらい大きなものがあって、それを夢中で食べた思い出があります。 

田舎のレストランでは食べ放題のバイキング式の食事があるところも多く、そうしたところでは、皿に料理を文字通り山盛りにして食べている人がたくさん見かけられます。しかも山盛りのお代わりをしているのですから、一度の食事でいったい何千カロリー摂っているのか見当もつきません。

また私が勤めていた大学では、教室から教室に移動する際、2リットルくらい入るコーラのペットボトルを水代わりに持ち歩いていた学生を見たことがあります。そのボトルにいったいどれくらいの砂糖が入っているのかと思うと、ゾッとしました。

このような状況ですから、皆さんもご存知のようにアメリカには肥満体の人が大勢います。そこで生活習慣病を持っている人も多く、そうした話は周囲の人からよく聞きました。
一番最初に住んでいたオハイオ州では、アパートの大家さんの奥さんが「主人は体調が悪くて、ステーキは食べない方がいいのにステーキしか食べないから、私たちは毎晩ステーキハウスに夕食に行っているの」とこぼしていました。現実にご主人は顔色が悪く、奥さんともども太っていて、見るからに不健康そうでした。他にも知人、友人の話を聞くと、中高年以降では糖尿病や高血圧、心臓病の人が多く、ある親しかった人は「アメリカ人は、食べ物で自殺している」とさえ言っていました。

私は、アメリカでの糖尿病の蔓延に関するニュース雑誌の特集記事を読んだことをよく覚えています。
テレビのコマーシャルでもコレステロール値を下げる薬などの宣伝が目立ちました。確か1990年代には、マクドナルドなどのファーストフードレストランも、ヘルシーなメニューを出すように政府から勧告されたそうです。

いずれにしても生活習慣病の多い社会を反映して、アメリカにはあらゆるダイエット法があります。私がアメリカにいたときには、「低炭水化物高タンパク質ダイエット(low carb high protein diet)」というのが流行していました。糖尿病は高血糖から来るので、ご飯、パンなどの炭水化物を減らし、肉などのタンパク質を食事の主にするというものです。実際、糖尿病でもないのに炭水化物を恐れてほとんど食べない人を知っていましたが、私から見れば不健康な食事に思えました。

単なるダイエット法だけでなく、ベジタリアンの人が多いのもアメリカの特徴です。ベジタリアンになる人は、単に健康上の理由からだけではなく、動物愛護の立場にいる人までさまざまですが、食事の内容もまたさまざまです。あらゆる動物性食品を食べないビーガン(vegan)の人から、乳製品または卵だけは食べる人までいます。それに加えて牛肉、豚肉は食べないけれども、魚ないし鶏肉は食べる人もいます。
私もいろいろ友人と話し、影響を受けて、五年以上ベジタリアンに近い生活をしていました。乳製品、卵、魚は食べていましたが、数年間一切肉は食べなかったのです。今思うと、私も多くのアメリカ人並みに肉を食べていたら、病気になってしまっていたかもしれません。事実、私が40歳だった時、私と同い年だった人が心臓発作で倒れたと聞いたことがあります。

その人は、コレステロールの多い肉や高カロリーの食品が大好きだったようです。私がアメリカで過ごした最後の五年くらいの間、アメリカのメディアは、たくさん新鮮な果物と野菜を食べるようにと、ことあるごとに言うようになりました。その傾向は今でも変わらないようです。アメリカ人の食生活もよりヘルシーになりつつあるようで、生活習慣病の発生も減少傾向にあると聞きます。アメリカの傾向を20年くらい遅れてたどっている日本は、かつてのアメリカのように生活習慣病が増加する一方のようですが、いずれアメリカのように変わっていくのではないかと私は思っています。

 

95.新年 普通の日

 
でっかい相棒 富士山は毎日立ち姿、表情を微妙に変えて寡黙で堂々と構えている。
 魅力のベストは寡黙というところだろうと思える。
 絵画も全部を塗ってはいけない。勝手に想像してくださいと余白が必須。これほどスペースに憧れながらこの東京の住まいにペットを飼うのもその理由に違いない。
 
いざとなると旅行もままならず、うっとうしいことこの上なし。とはいえ私事だが、犬のいない生活は最近のみいつも犬と同居するのが常だった。
 ペットを飼わない理由は2つある。第一には退屈なシベリヤ鉄道でイルクーツクまで行きバイカル湖を見に行った。そのときロシヤ人が連れて歩いていた犬は4,5頭で全て子牛程もあった。成る程これを犬と言うのだと変に納得してしまった。もう一つには、勿論ペット禁止の部屋であることだ。

 ロシヤ人はその犬を連れて別荘へ行く、その別荘は豪華な生活をエンジョイするためとは程遠い。彼らは、そこでジャガイモや野菜を栽培しているのだ。
 もう一つ、ちょっと脱線するが、貧しい民家の家並とかけ離れたゴウジャスな部落があった。
 添乗員に聞くと、マフィヤがすんでいると、彼らが、犯罪と犯すと、その証拠となる死体を全部バイカル湖に破棄するという。透明度世界一誇るその湖水が塩分を求めて1週間で髪の毛1本まで跡形もなく消してしまうという。透明度に魅せられて遠路はるばる来た私。湖水に浸した手に指は付いていることを神に感謝した。
 かなり脱線してしまったが、この旅行の話へ移そう。帰りは旅行会社のブックオーバーで飛行機がなくなった。急遽 プロペラ機で帰途に着くことになる。
旅行のオプションに参加したように気持ち、飛行機の窓から民家が見える高度で飛んでいる。途中何度も給油のために着陸した。

 その都度、お互いの無事を祝って抱き合って喜んだ。まるで同期の桜の心境だった。
 ハラロフツカでは初めて外人に見せるという軍港を観た。何だか背筋がぞくっとしたのを今でも思い出される。
 そしてその夜はじめてお湯のあるホテルに宿泊できた。もっと感激したことがあった。それは予約以外の宿泊なので食事の用意もなく、夕食は日本製の即席ラーメンだった。この美味しいこと!!




94.新年 5日目
パソコン windouws'7を購入した時、その操作指導に関する全ての窓口と契約を結んだ。 毎日のように疑問質問が沸いてくる。何と罪作りな薄情なブラックボックスだろう。
 現代人の進歩をどれ程妨げていることだろう。その時間を読書に当てたり、言語学習に向けたらどんなに、未来を飛躍させることができるだろう。毎日憎憎しげに、その箱に向かうこの悔しさ!!

 毎日のようにその色々な助っ人に電話をして教えを乞う。請求書は、どこからどうなってくるのかさっぱり分からなくなってきている。
 教えを乞う前に、まずクレジットのカード番号等を伝え、支払いの準備をする。質問の一件毎にその結果がどうあろうとも課金されるらしい。担当者によっては、ある時等、一本線を消す毎に、カード番号を伝えて支払いの準備を強制された。

 こうなると箱も姿の見えない担当者も悪魔かと思えてくる。 こちらも、どんどん賢くなってきた。まず第一声が物静かで、優しい人でなければ、口実を作って断る。
  「強くなければ優しくなれない。優しくなければ生きる資格がない。」の何十年も前に読んだ本のその行に線を入れたことも思い出している。その通りだ。担当者も知識が乏しい人程、兎角よく喋る、そして解決出来ない理由と口実が並べまくる。

 こちらも、もう聞くほうのプロになっていく。習う方は、たとえ知識は乏しくても何となく技術者の能力は推測できる。私も 将来もっと優しくなるために、もっと学習しようと誓う。


93. 新年4日目

 TVの番組がやっと正常に戻った。
 毎朝 ドラマ.カーネーションを観ている。この番組が朝のサイクルを形作っている。
 テレビは、全くというほど観ないが、2,3観る番組を決めていると、そこで生活のバターン化を、図ることが出来るように思う。
 
それすらないと、ズルズル流され行ってしまい、それも情けない。私の生活パターンには、元来5分がいつも問題があった。その5分でどんなに人生を狂わせた事か!!そう遅れる癖がある。きっと時計は見張っていない時には、裏切るのだと決めてかかって、時々ジーと形相を変えて睨み付けてやる。
 
そうすると暫くは、普通に恥ずかしそうに内気に秒を刻み味方になる。
 そこで、プライベイト使用の時計、つまり腕時計などは、5分進めて設定することにした。
 ところが大変、その5分を計算に入れて行動をしている自分がいる。何とも全く ずるくて成長の遅い人間ではある。
 誓ってよい。明日はもっとマシな事を伝えます。


92, 正月の3日目

 毎年 新年には会員から、立派な生花を頂戴している。通常でも、2週に一度の割合で贈られている。教室は毎日 豪華なその花の香りに包まれている。特にユリが絶えることはない。
 松、万両、カトレアそして葉牡丹と種類も多彩。毎日水を代え、少しずつアレンジしていく楽しさ、幸せそのもの、、。穏やかなゆったりした時間が流れている。

  昨夜 白菜とお豆腐を買いに降りて行った。ところが、何とも、通常と変わっていない、、、。このお正月というのにである。若者でごったがえっていた。渋谷は、やはり狂っているとしか思えない。
  急ぎエレベーターで上り部屋に戻った。これでは、どちらも現実とは思えない。
  いやー、都心は疲れる、ストレスが溜まりはずだと、、、。

  食料品が無くなるまで外出しない生活様式がもう何十年も続いている。もうそろそ地下鉄が怖い難しい、そのうちさっぱり分からず、ついていけなくなるかもいかも、、、。
 今も、誰か友人と一緒の場合は、無心で付いていく事にしている。友人誰でも私には尊敬に値し、英雄のように思える。


91.正月さてと、、、、。(3)

  昨日の元旦には、たまたま免震の建物いて地震に遭った。
  ちょうど2時過ぎだろうか。何だか揺れ方に余裕がありロマンがある。ふーらふーらと、、。震度は3だったからそう思えたのだろう。揺れる事にはもう慣れていて震度にもよるが、依然に比べると悲しい事に、何のことはない。(こういう事を言ってはならない!!) 
 
以前、住んでいたマンションに外人講師がいた。震度3でも、外人講師全員、ガタガタ、ガタガタと非常階段を素飛ぶように駆ける降りて行く、その様子を見に出て、楽しんだ記憶がある。至って周りの住民には迷惑千万な話だ。ちなみに、13階だった。これが金曜日だったらどうだろう。グライーのように宙に飛ぶだろうか。
 さて、話が変わる。中央線が自殺者が一番多いと聞いた。あの立派な富士山が、人間を惑わかすのだろうか。お正月も西の方向に向かって行って遭った地震だ。
 
 好きな女流画家の一人、どちらだったか、浅間山をよく描いていた。まー、また噴火すと分かっていて、その危険な麓に住むって馬鹿!!とバッサリ渇入れながら描き続けていた。
 かっての私の絵の先生曰く。女の絵は怖い!さっぱり分からない。でもあのおしりのえくぼがいとおしいと、、、。さっぱり分からないコメントのなった。女が書いた。


90.正月さてと、、、、。(2)

  昨日 鼻水がタラタラと止まらなっかった。何とも色気のないことよ、、、。
  さて 明日の外出向け、何としようかと、慌ててしまった。
  そう健康と食事に精通してスタッフの言葉を思い出した。かなりの重症で、担当の生徒からお大事にと言われたそうな、それから、一切食事絶ち暖かくした休んだそうな、、、。
 
それで行こうと決めた。早速 コタツ入りのベッドに潜り込み、一眠りした。
 7時の紅白には、間に合って気分も爽快、おれから友人にも、元旦外出の連絡も取れた。

 珍しく何十年ぶりに紅白を全部見た。日本は一つとなって協力すると強調する。いいことではないですか。赤も勝ったことだし、、、。
 
  今や、今年のホープも書き終えた。昨年の目標は。英語の聴力の向上だった。もう5月頃から、さっぱり忘れてしまった。どうも元旦の決心はうまくいった試しがない。

 又同じゴールにした。もう書く必要のない項目にしたものだと、、、。
 今 クラシックミュージックを、聞きながらキーボードを叩いている。
 富士山は、まだお休みのようだ。



89. お正月の生花(2)
  今年も素晴らしいお正月用の生花を頂戴した。
 昨年も新年の一週間程を、もっと10日程も楽しませて頂いた。以前はクリスマスからお正月まで海外に出ていた。しかしこの近年ちっとも遠出をしたくなくなってしまった。

それには訳がある。ケアンズのホテルで南十字星眺めて浮いていたときフト感じてしまった。早い時間はまだホテルの客も泳いでいたので、ウキウキしていた。今一人になり、「何故、この辺境の地で一人で浮いているのだろう。」と思ってしまった。
  それ以来プッツリ遠出は中止した。

 長閑に、東京の正月を堪能している。
 「何故 こんなに素晴らしい生花をどこのお店で買われますか。」かとお尋ねしました。
 「主人が元花屋でした。」と、、、。さもあろうと納得、、、。
 彼女は、熱心に英語を学習しいる会員で、某薬科大学の元教授である。「学生のときが英語が好きだったら、他の学部の専攻もあったのに、、。」と、、、。
 今年も仄々とした静かなお正月がくる予感、、、。昨日 ウキウキと、第一回目のお花をアレンジした。



 88.正月さてと、、、、。(1)

  昨日 鼻水がタラタラと止まらなっかった。何とも色気のないことよ、、、。
  さて 明日の外出向け、何としようかと、慌ててしまった。
  そう健康と食事に精通してスタッフの言葉を思い出した。かなりの重症で、担当の生徒からお大事にと言われたそうな、それから、一切食事絶ち暖かくした休んだそうな、、、。
 それで行こうと決めた。早速 コタツ入りのベッドに潜り込み、一眠りした。
 7時の紅白には、間に合って気分も爽快、おれから友人にも、元旦外出の連絡も取れた。

 珍しく何十年ぶりに紅白を全部見た。日本は一つとなって協力すると強調する。いいことではないですか。赤も勝ったことだし、、、。
 
  今や、今年のホープも書き終えた。昨年の目標は。英語の聴力の向上だった。もう5月頃から、さっぱり忘れてしまった。どうも元旦の決心はうまくいった試しがない。

 又同じゴールにした。もう書く必要のない項目にしたものだと、、、。
 今 クラシックミュージックを、聞きながらキーボードを叩いている。
 富士山は、まだお休みのようだ。(010112)


87.さて大晦日

  
目覚めて、即部屋の引き出しの整理を始めた。
  昨日まであれ程、億劫だった片付けに今朝は、こんなに燃えている自分がいる。もう観念したか、でも憎めない、かわいい奴と自賛する。
 後は、台所のみとなった。まー、長い休暇の前だ、我慢の子で頑張ろう、、。

 ふっと、昨日配達のみかんが届いていないのに、気が付いた。しかしもう解決済みと伝票を、ごみ箱に破棄し、しかもごみ収集所に持て行った。さて、みかん配達は、錯覚だったのだろうか不安になった。
  送主の友人に連絡をした。全く友人には迷惑千万な話ではある。 友人曰く、しかと贈ったと、、。ところでてんやわんやがあって、程なく、待望にミカンが玄関到着した。
 
まー、その待望に箱には、「日本一、日の丸ミカン」とあった。
  新年は、もっと、全てがスイスイと順調に流れるように過ごしたいものだと思う。(311211)



86 ピエロの油絵


 今朝の空は、Things are not so good.まさに私たちの今の気持のよう、、、。
 壁には、その心情とは、全く無関係なおどけたピエロの絵がある。数多い駄作の中で、これだけが、先生のお弟子さんから『この絵は、先生が亡くなられたら良い値で売れるよ。まさに先生の絵、其のものだ。』と褒められ、かえってぞっとした。概して、油絵の先生が生徒の絵を褒め事はまずないのである。

 驚いたり感激する事はない、『ほとんど先生に手直ししてものだろう。』と続く、、。
 その大先生は、亡くなって久しい、、、。『私の絵の顔は知性がない』と嘆くと、彼曰く。 『そんなもの定期に預けてしまえ、賢い人は引き出したり、使ったりしない、、。』と。好き放題 出たら目を言って、生徒の絵に、すき放題の色をたっぷり塗ったくって回った。

 お弟子さんが担当するようになり、生徒の作品を全部並べるようになった。『まー、女の絵は、いつまでも、慣れる事はない、私には恐怖なんだ。』とよく言った。誓っても良い私は、この絵は一人で描いた。
             
 もっとも ギター、ピエロの帽子そして足、それぞれ先がはみ出して描かれていない。ほとんどの被写体は、裸婦である。一ヶ月間同じポーズを描き続ける。従って月の初日は、男性の生徒は早く出席して、前の良い場所を占める傾向にある。

 日本人のモデルは休憩時間は、大きな布等をそっぽり頭から覆り、その場で横になって休んでいる。ところが外人となると、生徒の絵をチェックして歩く、そして文句タラタラ言い始める。あの独特な憂いを含み哀愁の眼差しを描くのに奮闘している自分にとってかなり落胆する。

 ハンカチ一枚置いても、美を損ねてしまう。神の創造物には感服する。裸婦のどの部分を切り取ってもまさに芸術だ。
ドンナ素敵なデザインの衣服を身にまとっても無様になるばかりだと思える。
 服をまとうとすれば、きっとシンプルでしっかり体に密着し肌の色であるべきでろう。一体 衣服が必要だろうか。
 先生のお弟子さんが『女子のお尻のあのエクは、なんともかわいらしい!!』と被写体としての女性は、滅法褒めちぎる。女子だって置物じゃない。モノを感じ一心不乱に前進している。裸婦の肌に紫を塗ってどうして紫かと質すとどうせ他人の絵、好きにさせてもらうよと開き直り、場違いな事を言って笑い飛ばした先生が懐かしい、、、、。


85 文豪の生家とビーフステーキ
 
アルバムを見ればいつの旅の事かわかるのだが、アルバムをしっかり仕舞い込んでしまって出てこない。
季節はわかる。休暇となるとお正月か、こどもの日そして盆休みである。それは寒いお正月のときだった。帽子をかぶり、マスクにダウンの長いコートを費用の元を取り返そうと練り歩いた。

シェークスピアの生家イングランド中部のストラトフォード.オン. エーボンに向かっていた。バスで行くか列車に乗るか、迷っていた。バスのドライバーが『バスが良いよ。』と声をかけて、説明してくれたが、列車に乗ってみたかった駅はすぐそこ、時刻表によると30分も時間があった。そこでコーナーで暖かいコーヒーを飲み寛いで、7,8分前にホームに上がった。しかし10分待っても15分待っても列車はこない。

駅員に尋ねたところ、何と列車は発車したという。『客が少ないと、早く発射するんだよ。』と何食わぬ顔である。

ああー。何と言うことか。仕方なく例のバス停に下りてバスで向かう事にした。さて今度はもう一人のドライバーの説明、曜日によってバスが運行していて今日は運休の日だという。うんざりだ。
そしてその日の夜の話。網の上に真っ黒な煙で燃えているステーキがある。しきりにボーイが返している。『それ私のステークでしょう?』と尋ねた。するとしっかり首を振り『違う。』と断言する。
 
何度問いただしても、しっかりまるで時計の振り子のように首を横に振って耳をかそうとしない。しかし広いレストランのホールに客は、私一人しかいない。ついに真っ黒になり炭のようなそのステークを胸の高さ以上に高々と支えて礼儀正しく、私の前に置いた。
 
しかも今まで肉を返していたボーイがである。たどたどしい発音のフィリピン出身だという男性。あの国には、責任、愛そして、誇りもないらしい。全神経がボスの方にか向いている。

それ以来宿泊しているホテルでの食事は一切しなかった。ジーンズ等ぼろぼろの身なりで地下鉄に乗ってピカデリー道りまで出て、日本食や中華料理を楽しんだ。
あの電車の一件で、まだシェークスピアの生家へも行っていない。
一層身も心も冷え冷えする旅ではあった。
 



84 燻し銀の輝き.弁護士
 

 あまり美男とも取っ付きが良い方とも思えないが、苦労人、誠実 実直そしてシミジミ人情味が伝わってくるそんな弁護士だった。彼と馴染みの高校の同級生、2,3人で彼を囲んで何度か弊社の事務所で会食した。
  幼い頃 神童と言われ読み書き等成績は勿論、何だか神のお告げを周りに諭す事が出来たそうだ。学校に通う都度 自宅の牛を追ってきたという。一端 一家の担い手だったらしい。苦学をして弁護士になり一人、東京で旗をあげた。

  彼の好みの料理を心を込めて振舞った。日本食 遠い昔のあの慣れ親しんた味、ソーメン(夏は、彼の好物だった)、肉じゃが、焼魚、冷奴そして味噌汁と、、。私たち仲間は、彼が癌に侵されているのを知されていた。彼自身が、もっと冷静にその現実を受け入れ忍耐強く穏やかな日々を過ごしていた。
 延命の一つの方法として、仲間の一人のトラブルを彼に委ねた。途中 想定道り入院という過程で他の弁護士にバトンタッチすることになった。
 
 地道な努力が認められ皇居に招かれ旭日小授賞が授与され、事務所の壁にはその功績が掲げられていた。 
 先月末 彼の永眠を告げられた。 花輪200本余 送り人300人余の式典が、燻し銀のような人間味に輝く弁護士を送った。
  自分の勝ち取った道を究め、覚悟の幕を自ら下ろした。良い弁護士が亡くなった。       
  (07/07/11 岡田


82 パチンコで稼ぐ

スタッフの一人に米国の大学の準教授(日本で言う)だった講師が長く当教室を支えてくれています。

大学生のとき英検一級に合格し、さらに原書の500冊も読破して渡米しました。教室の原書文庫はほとんどは彼の蔵書の(正真正銘)賜物ですが、、、(笑)。

むこうの大学で英語力のなさに驚き泣き、それでも奮起し努力し、資格を取りかなり名の通った大学で教鞭を7年近くとっておりました。しかし、父親の病気を期に帰国しました。

彼は 今や180度違った課題 食生活で熱弁を振るいます。加齢防止や長寿について何十冊もその方の専門書を読んでいます。私たちも彼の情熱に感銘し、彼の指示にもとずいたメニューによって日々過しています。
人参、大根やたまねぎ(無理)の話に花が咲きます。特に、私(危機一髪)には、ピッタリの話題です。

尚 彼の母親は、パチンコで毎月たんまり稼ぎます。毎朝 弁当を持って出て、5:00pmにはきっちり帰宅します。しかと通勤しています。あるパチンコの台(機械)を解明したらしい、、、、。

若い時からめっぽう数字に強い母親だったらしいです。

ところで、ここのところ毎朝 NHKのドラマ(8:00am-)を観ています。
タップリ涙を流し、泣いたらgo−です。


81 米国人のボランティア活動

   講師の一人が米国で働いていた時,親しくなった友人いる。その友人が、今東日本大震災のボランティアに参加している。
 日本への出発の前 その友人から震災の規模などのついて問い合わせがあり、説明したとの事。

その時 講師は、いきなり東北へ来ても、どんな仕事が出来るかを問い合わせる等、環境を知る必要がある等忠告したそうだ。その彼の友人曰く 『兎角 僕は早速 日本の現地に行く、そして役には立つ事は何でもやりたい、力になりたいのだ。』との事だったという。
その友人は、ずーっと現地に滞在して2ヶ月なるという。ボランティアとはと語源を調べた。考えた。
(220511岡田




80 2重3重のプレートの上で綱渡り
(その2)
 


79
東日本大震災によせて
(その1)

30代は、年に2、3回ガム島に行き、年中かなり黒い顔で過しました。いつも米国の 老婦人が、ヒルトンホテルのビーチで待っていました。
よく手入れされシェイクアッ プされた身体に、毎日パターンの違ったビキニの水着とアクセサリーが、かなり奇抜 でも見事にマッチしていました。彼女の家族は、世界中の気に入った所で好きなよう に生活しているのです。
欧州 豪州そしてエジプトと、そして日本、日本の名所 旧跡はもとより、銀座や青山道りのレストランのメニューまで話題にのぼりました。

地球上でも2重3重の断層の上に綱渡りのような状態で住んでいる私たち、 これ程の惨事があり、それも当然起こるべくして起こったとすれば、もう発想を変え る必要があるでしょうか。
日本にセカンドハウスを持ち他の場所に居を構えるとか、 、、。
今や文明の利器と、英知を駆使すれば、ヒョッとして、どこででも生活の糧が 得られる、その基盤が築ける時代になってきたのやも知れません。

とすれば日本 の人口の問題も、しかり、70歳80歳で、定年とか。人間の長寿用のレシピや生活 様式を熟慮し、皆でパターン化した生活で生き抜き、寿命一杯 フルに活躍し、エン ジョイする。もはや、頭脳を駆使することしか残された道は無いのでしょうか。
次世代のことになるでしょうが、大きな視野でノビノビと快活に生き抜いてもらいた い。




78政府の大小

US New Updateに、安く医療費をあげる方法として、 費用の25%をキャシュで払う電話で約束し医者を呼ぶ記事が載った。治療費を未払いで夜逃げする人がたえなという事情がある。保険制度が不完全だ。努力した人のみ報われる、つまり小さい政治。

一方ノールウエイのように、教育も医療費も全費用を国が持つ。しかし夫婦の内どちらかの給料は、税金支払いに当てもう一方が一家の生活費になる。北極の真珠と言われるトロムソ島に行った。まさにメルヘン、美しし真珠 その粒を良く見ると、どんぐりのような小さな家はコロコロ連なっている。大きさが全く同じ、多分間取りも?

お土産の鮭は、24%が税金である。喉越し、この上なく悪い、、、。お正月の昼間は朝11時から昼2時頃まで、後は真っ暗、真っ白、零下20℃ー30℃、凍てつく夜、顔の皮膚が痛い !!
,『ヌンクの叫び』が、日出る国の私たちに分かろうはずもないと思った。長い夜パッチワークが人気である。

病気になると半強制的に病院へ運ばれる。それ上に病死は難しい。さしずめ命を絶つ方法は、自殺しかない。小さい政府をで生活力の差による貧富を受け入れるか、国からの福祉を求めて重税を受け入れて、みんなで手をつないで助け合い同じ歌うか。政治の云々を論じる時、さてどうする? (16/08/10)

77.鯖のムニエル
キャビンで台風の過ぎるのを待つ。一泊二日仲間と過ごす。釣り好きがいて鯖を釣り上げ料理して食べた。ついに航行をを諦めて、高速をきっ突っ切って岐路に着く、結局渋滞につかまり疲れたと、、、。 メールが届く。
今夜のペルセウス座」流星群、まず無理みたい、、、。

76. 2重の虹
毎朝 5時 携帯の音楽で目を覚ます。窓を全部開けて空気を入れ替える。
ベランダの花に水をやる。朝顔に、『どうした。あなたのボスはどこにいる?こっちだろう。こっちだろう。』と、花の向きを変えるの作業がある。
東の空には、下から新しい日の光が射し金色の凹凸の雲が広がった。 西には、70°程の位置に2重の大きな虹が出た。
天が、『どうした。勇気を出して、頑張れ。』と言っていた。

いつものように、お寺の鐘がゴーンゴーンとなった。


76. 英語を公用語に,英語で決算書を作成
柳井正(ファーストりテリング会長)
民主党派消費税議論を持ち出して負けたのではない。むしろ前首相から続く発言に対する一貫性のなさだ。言い出したなら覚悟を持って国民を説得すべきだ。僕は好き嫌いで商売を選んだわけではない。生き残ろうと、自立するのに一生懸命だった。仕事では、英語を売り場の公用語にすると、、、。

.楽天の三木谷社長が英語で決算発表

来る12年3月までにグループ内の公用語を英語にする方針を既に公表している。
日本語だとあいまいな表現でも英語だとストレートに表現でき仕事の効率が上がると強調したと、、。
                                            -朝日新聞朝刊 06/08/10-
高1の教科書1/3習得した現会員は、日本語を書くよりも英語の方が、スピーディでスパッとストレス解消ができ第一疲れないと言っている。
長く英語に携わっていると、会話でも、即結論が出てくる。女性はどうだろう。日本男児には今日一つ、、、。
『可愛げがないと、、、。』
06/08/10



75.ある病院の話
  
利発で活発そうな真っ黒い顔をした少年が入会した。毎日サッカーを練習していると言う。
 母親が『この子にはやりたい事をやらしてやります。』と言った。よく話を聞いていると,たまたま私のかかり付けの病院と住所が同じ、つまりいつもお世話頂いている先生のお孫さんに、当たる。  『はー、そうですか。』と頼りなげに応じた。
   『主人も医者ですし、代々医者家族ですが、努力と投資に見合った仕事とは思えません。』と、、、。その場に医学部志望生担当の数学と英語の現役の医学生が同席していた。


 会員に人気もあり水を得た魚ように意気揚々とし希望に満ちている講師の医学生2人が、うつむいた。『病院も父の代で終わる事になります。主人のは継ぐ意志はありません。』
 あー、あの病院は今の先生で終わるのかと思うと寂しくなった。
  高熱だったりしない限りは、ほのぼのした診察室だった。元々軍医であった先生は待合室の軍艦の写真を見ながら船内の負傷した兵士や戦争についてどんどん熱くなり話に花が咲く、それも満開に、、、。
  後の患者が来ても中断する事もない。このコメントを書いている現在、その病院はもう閉院している。


 彼ら講師は、医学の道を選択し何の迷うもない。期末試験等に失敗した1人は、講堂での寝袋の生活にも耐えていた。定期のテストには、科事典一冊分程の範囲から出るそうな、、、。

 さて彼らは、新会員の父兄の話をどう消化したか。やはり落胆しているのは、彼らの様子からして容易に推測可能だ。会員の父兄と講師の顔を交互に見比べた。
 毎年医学生だけの全国水泳大会が、北海道で行われる。乱暴な話のように思えるが、彼らにはかなりの額の税金が投資されている。飛行機事故でも起きるどうなるだろう。
 地下鉄で通勤する彼らには無事を祈ったものだ。
 

  行きつけのその病院が閉められたは昨年であった。予約の電話を入れると、聞き覚えのある声で『病院は閉めました。』という事だった。

 もうあの戦場での軍医の話は聞けない。咳が出る度に入ったレントゲン室、そして白いビル。不便と言うより寂しさの方が強い。戦後の青山界隈の様子 例えば住民も少なく、通りにはペンペン草が生えていたとか、そういう話が懐かしい。
  大通りは一週間で『ここはどこ?』と思う程一変してしまう。全く様変わりする。そして一本、裏手に入ると、今度はゆっくりしかし確実に変化していく。

  ちょうど大通りを渡った所に大きな寺である。初めて除夜の鐘を突いた。ところどころに暖をとるため炎があり、その火の向こうに、ちらほら知り合いがいる。
 一日に数回なる鐘の音、誰がついても、延々と同じ響き渡っていく、しかし唯一、普遍の事は、移り変わる事、変化する事。
 暦の上では春だそうだが、この寒さ、でも確実に春も来る。




74 盆栽
 昨年 頂いた盆栽を見つめ自然を満喫している毎日だ。樅の木らしい大木(15cm)のバックに赤い実をつけた木立があり,そこを白い道が巡っている。
 何とも野山を駆けて遊んだ幼い頃を思い出す。
その実が黒く熟し、既に3,4個を土に埋め込んだ。その芽が出たらどうだろう。
 その時を想像するだけで、感激し、いとおしい。この盆栽をもし写真に収めたら自然な田舎の風景になるだろう。この作品は盆栽が趣味の会員から贈物。

    omote-san(28/01/10)



73 素敵な講師そして彼の母

 
 グルネル大学(オハイオ州)で準教授だった講師,彼のスキルをはじめ英語の教え方にはかなりの定評がある。その彼の母親のお話。
 彼女はめっぽう数字に強いらしい。パチンコ屋さんで毎月何十万単位で稼ぐという。ある種の機種をもうすかり解読したそうな、、、、。
 しかしその軍資金として5万円を用意する必要がある。
それが2,3万ではこの結果は 到底望めない。
 それには理由がある、3,4万すられても、その後の1,2万で挽回可能が多いにあるという。そして例え調子がうんと良くても、ある一定の基準まで来ると必ず退散する。これが鉄則だそうだ。

 何だか人生もそんなものかと、共感する。そして素晴らしい、面白い 。
 72 藪椿と春の雪(2)

 数人の友達が集まり、良く履物がなくなってみんなで右往左往した。その犯人は、無二の親友であった。バスが、非常ベルが鳴って立ち往生している。おしゃべりが一向に止まらない、いやそれどころ話は佳境に差し掛かっていたのだ。周りがシーンとして乗客に目は一点,,友人に集中していた。

 ある日、いきなり家の飛び込んできて、『ねー、聴いて、、、。』と、、、。『やはり、何も聴かないで、話す気になれそうもないと、、、。』何も話さないでしばらくして帰宅した。
 その後しばらくして通りで偶然出合った。『こんにちは。』と声を掛けると 『かって女であった。そう私はもうそうじゃないのよね。』と言って、片を落として立ち去って行った。後で夫の浮気が発覚したと言う噂を聞いた。その夫が亡くなって今が一番幸せ言いながら、40年間以上楽しげに生きた。

 私は、彼女に40年程 助けられてきた。角を曲がるその都度いや直線コースでも彼女に支えられて現在がある。
 夫への彼女の献身は半端ではない、むしろある意味恐怖に近かったかと思える。モーパッサンの『女の一生』に類似しているとよく思ったモノだ。
 大変な読書家で、それも外国の推理小説以外は一切読まない、徹底していた。その発想たるや奇想天外、面白いく、今も数限りないエピソードが、頭を巡り苦笑いやら、時にはゲラゲラ笑い出してしまう。
 コメントが全て驚くほどズバッと的を射抜いていた。 
 
 良く会う度に聴かされた事がある。『私は、子供を生んだだけ、何もしてやっていないのに、皆 心底私みたいなものを大切にしてくれる。もし 子供に迷惑を掛けるように事にでもなれば、私は自殺する。』が口癖だった。ご子息の送金を唯の一円も使わず、贅沢する事などなく、つつましく生活しその金額が貯金していた。
 
 紫色のリンスをして髪を整え、ピタっと似合った知的な服装の貴婦人であった。無垢な乙女で、天真爛漫、真っ直ぐで人を疑わない、大きな口を開けて、カラカラ笑って過ごした。
  贈った香典が返金されてきた。本人の遺言だったと、、、短く説明されていた。

  こんもりと積もった白い雪に紅一点。3輪咲いた藪椿の花の一輪だ。この椿は彼女の庭から2枚の葉を付けただけの手の平に乗る程の小さい苗だった。ここまで、そう70センチまで育って毎年花を付けている。

 紅一点が、大きく広がって、1点に絞られ、又広がって、1点にとなりを繰り返した。涙が溢れて止まらない。
 いつもは、雪となれば子犬のようにルンルンで飛び出すところだが、今朝は、藪椿と雪と涙と、、、、。
                                                         07/03/11
 

                                   omote-san(25/01/10)

71藪椿の一輪 (1)
 
 藪椿が一輪咲いた。もう5日目である。最初は恥かしげにうつむいて、ドンドン顔を空へと上げ、花弁を真っ直ぐに開き自分の存在を主張してきた。
 苗を持ち帰ったにはのは10年も前になるだろうか。20才も年上で、もうお付き合いして40年以上になるだろう。
  彼女は外国の推理小説をいつも携え読んでいる。発想がかなかなユニークで私を含めてそこらの女性の枠をはるかに超えている。
  あれ程はっきり真剣にnoと言える人を知らない。 私の人生の山や谷の全てに深く関わり、自分の家族以上に心を痛め、時には、命を賭ける程の情熱で守ってくれた。
 彼女の庭から5センチ程の木をベランダの鉢に移植した。その一輪の主 藪椿だ。
 一番好きだという真っ赤な椿の花を見ながら彼女との年月を偲ぶ。 
                         omote-san (23/01/10)

70 New Progress

 JPPS マリカでは、学生から社会人まで幅広い会員に恵まれている。
 それはマリカ方式が、英語に関するどんなニーズにも、対応可能な所以である。
  progressをスタートしたのは、かなり早くそして結果も出してきた。
  今 progress学習にぴったりの会員がいる。努力という文字も響きも気に入れないそうだ。
 努力はしない。しかし試験は得意そう。
 学校の試験も英検もドンドンパスする。
得点する事そのものに集中し貪欲だ。実の無理がなくし自然体。
 回りの状況が実に360度 見えて、立体的にも見えているのか。
 将来がことのほか期待される。さては何者だろうと,興味津々だ。 
 
progressの勉強には発想が豊かで引き出しは多い程良い 。  
                            omote−san(23/01/10)


69小学生で英語教科書中1を習得
 JPPSでは、大学まで受験で勝ち抜くには、同学年より一歩先んじて英語学習をスタートする事が得策との信念貫いてきた。事実その結果を出している。 今や学生を初め社会人まで英語力の取得を避けては通れない。単純に学生で学校の英語の教科書中1習得すれば良い。
 この方法で、東京の私立医科大学5校に合格した会員がいる。彼女は、中学.高校とも英語の成績は、学年No.1医学部まで何と特待生でした。人生 もう一度があるものならば今度こそはお手本になる人生をと悔やまれる。 
   omote−san(22/01/10)


68一論の藪椿
  
朝9時と11時に近くのお寺の鐘がなる。
時折、朝早く出て見る小僧さんが地下道を穏やかな表情で掃除をしている時がある。
 そうした光景に出会うと実に爽やかで嬉しく感じる。やっとベランダの藪椿が1輪真っ赤な花をつけた。いとおしい。
                         omote−san(20/01/10)    


67青山 SCRABBLE  倶楽部

SCRABBLE はアメリカではインテリ層、そして一般家庭で大変普及している“言葉(Word)”のボードゲームです。

1930年代にアメリカで考案され、これまで改良を重ねて現在の形になっています。 クロスワード・パズルにチェス、日本の将棋、囲碁などの戦略、戦略的要素を加えた知的ゲームです。2人から4人までプレイが可能ですが、通常2人で行います。

世界で120カ国以上、20数言語で親しまれていますが、アルファベットを用いるゲーム、と言うことで、残念なことに日本語のスクラブルはありません。

“ゲーム感覚で英語の実力を磨き、伸ばす!” “これまで学習した英語の単語がどれくらい正確に身についているか!“知らず知らずに英語の語彙の増加や正確なスペリングが気になるようになります。英語が確実により身近なものになることでしょう。 

このたびJPPSでは ゆったりとしたサロン風の教室で週一度(月4回)“青山・SCRABBLE・倶楽部”をスタートすることになりました。午後と夜の二つの都合の良い時間を選べます。初級者から上級者まで、スタッフがコーチも行います。 ご自身の英語力を発揮したい、またもっと英語仲間
を作ったり、英語に親しみ機会を作りたい、、、。そういうかたのご参加をお待ちしています。

会員制ですので、詳細につきましてのお問合せは、 弊社へご連絡下さい。e−mailにてお願い申し上げます。   (19/01/10)




66 富士山の頂上を5cm見る。

 
朝、定時に起床する意志の固さそれがない。しかし6時前には起きている。
 毎朝30分相当のストレッチをする。
 真っ暗な窓の外を見ながらドンドン空が白んできて遠くの山の線が判別できる。やがて富士山の白さが、、、。
 その半分を見ながら体操が進んで行く。ストレッチの1/2まで来ると体の芯がほのぼのしてくる。床に寝そべってもう既に明るくなった空を見る。
 大きく深呼吸をして終わる。ベランダに出て富士山の頂上を見ようとするとビルの間の5センチ(?)程の山になる。高いビルが乱立し視界が日に日に変わ  って行く。サー今日が始まる。
(omote-san(18/01/10)


65除夜の鐘を突いた。

  東京でのお正月は、まさに久しぶり,ヒョッとして20年ぶりだっだりして、、、。
  一番 多いパターンは、クリスマスから日本を脱出している。ところが最近遠くへ行くのをばっさり止めてしまった。

  あれは豪州のケアンズのホテルで宿泊していた時たったか。
  ホテルの客のレストランからのにぎやかな声を遠くに聞きながらプールで泳いでいた。
  やがて星が出できた。その内 プールの客もいなくなって、1人星を見て楽しんでいた。しかし ふと、こんな最果て地で、何故1人で 浮いて南十字星を見ているのだろう。と思った。

 ホテルへ戻り又つらつら考えた。ペアーでの旅は、それは楽しくまず気が楽だ。しかし1人で、海外に出かけるようになると、その旅行記が書けるほど、その旅の毎日毎日が、充実していた。というより、海外旅行は端的に言って危機一髪のいわば綱渡りのように時を刻むのである。

  予断になるが、シベリヤ鉄道でイルクーツクに行った帰り等が、良い例だ。  帰国に際してブックオーバーで、乗る飛行機がなかったのだ。プロペラ機で何度も給油のため小さな飛行場へ降りた。眼下の風景は、家が見える程の低空を飛んでいた。それはまるで飛行機での観光ツアーだった。

  そうなると仲間15人は同期の桜の心境だ。空港にタイヤがどんと付く都度、命のある事を有難がって、手を握り合い泣くほどだった。これ程印象に残る旅が生涯あっただろうか。その時はソ連の古い飛行機で私の席は少し傾いていた。ただソ連のパイロットは技術が素晴らしいのだと自分に言って聞かせて納得した。

   話は戻る。ケアンズのホテルへ戻ってつらつら考え、以来、海外旅行にはさっぱり興味がなくなった。

  ちょうど前がお寺である。永平寺別館で長谷寺という。31日の昼間、一度どういうものと、点検に行っていた。そしてたくさん棟を回り、お賽銭を奉納しタンとつらつら長いお願い事をしていた。

  31日 12時に、又お寺へ出かけて行った。鐘を突く人の長い行列があり、庭のところどころに、赤々とストーブが置かれてあった。
  お堂からは、15-20人程の和尚の読経が聞こえている。
  除夜の鐘の順番が、やっと回って来た。まず お賽銭を奉納し、坊さんに、手を合わせて拝礼し、やおら鐘を突く。何だか頼りない音になってしまった。   それから、もう一度拝礼をして退散する。
 別棟には甘酒が用意されてあった。
  
  東京の人口が少なくなってしーんと静まりかえっている。3ガ日,それはそれは,おっとりと静かに オーダーメイドの日々を過ごした。
  
 元旦に、タスマニアの友人Maryから電話があった。
  Happy new year and happy birthdayと、、、。
  世界でただ1人誕生日を祝福してくれるかけがえのない貴重な友人だ。
   時折 親さえ、この日を忘れている。

  あー良い年になりますようにと切に願う。そして誰かのお役立ちますようにと、、、、。
                  omote−san(12/01/10)




64 あの少女が医師としてカンボジアへ

  あのあどけない欲も得もない高校生の少女が医者になって、スックと私に前に立っている。
  清楚で知的で使命感に燃え実の美しい!!
  PKOの一員として、来春カンボジアへ行くのだと言う。
  私も親しかった素晴らしい開業医の女医さんがいた。その女医さんの事を『神様は、不公平だ。彼女は、余りのも完璧すぎる。』といつも苦情を言っていた。
  今やその目標の女性の域に達しているのではと、、、。

  毎朝 4時に起きて入浴し、マニキュアをして、頭から足までコージネイトをして通学する。その日の状況は、その朝の出立ちにかかっているのだ。
  教室に来るなり、クルクル回って 『先生今日はどう?』と毎回訊かれる。
  まずは、素晴らしいマニキューにカメラのレンズを合わせる。
  
   ご家族のお1人が、教室の玄関に、往復彼女をお出迎えである。
   玄関で逮捕(捕まえて)して即自宅に誘う。

   今も、昨日のことのように目に浮かぶ。クルクルとスカートが舞う、細い足が舞う。 しかしお互いに戦友であり結束は固い。

   私は、成長した旧会員に会えるのを楽しみ、遠くから手を振ってくれるのを生甲斐に、努力し今日を生きている。  omote-san(091222)




63万年 中腹の私

 灰色の空に、秋雨がシトシトと降っている。
 何とも救いがたく憂鬱な朝である。エレベターの中、うつむき加減で1階に降りる。
 『ねー、先生、お出かけですか。』と聞き慣れた可愛い声である。同じビルの事務所でアルバイトの主婦だ。
 『先生、聞いて下さい。息子がやっと開業しました。先生のお陰です。』と、、、、。
 『わー凄い!  何と立派に成人されましたね。おめでとうございます。 お幾つになられましたか。』  『先生、息子は35歳です.。』と、、、。 23年前の生徒のお話。
 幼くあどけない中学生が成人し、医科大学に合格し今や開業した。
 少なくとも5,6年は会員であり担当してもいるはずだが、、、。顔までは思い出せない。
 言える事はかなりの月日が流れ自分自身立派な年齢のなった。これも当然だが、今更驚く。 旧会員の母親の澄んだソプラノの小気味好さ、テンポの良さそして精一杯の感謝の気持ちが、私のその後の表情を一変させた。足も軽やか、顔を上げてかっかと歩く。
 何とたわいなく単純な事よ。
 もう何人の会員が医者の道に進んだだろうか。ある意味 有難い仕事をしているのかも、、と、、、。
 
高い山へ志をもって重い荷物を背負って登り通過する人へ、呼べどもう声届かず、
万年中腹の私。
 
 数十年前に詠んだ句だ。          omote-san(06/10/09)

61日常の営み
  ベランダの金木犀、山茶花そして藪椿が花を着ける準備に余念がない。力強く粛々と進んでいる。朝5時にお寺に金が鳴る。
 そう山鳥もほーと鳴く、いつもと同じ営みがそれぞれにある。

 教室では、英検受験者、準1級や2級の準備に講師も会員も目が輝く。
 合格ラインにほぼ到着した1人、『辛いけれども面白い。』と、やっとこの言葉が出た。書いては進むこの方法、マリカ方式は、結果が付いてくるとはいえ手の抜ける作業ではない。
 でも、廻りも全て花も金も山鳩も、いつもの普通の営みをして過ごし、日が暮れる。
 そうしたに日常がとても幸せで嬉しい。普通の営みは、多分厳しいことなのだろうと思える。omote-san (27/09/09)


 60 三日月と飛行機

 
ベランダで夕食をとる。三日月の上の接点を飛行機が飛んで行った。
 2,3分後もう1機が月の下の接点を過ぎ、一機目はビルの中に消えたが,後の1機は真っ直ぐに空を突っ切って夕日を浴びながら光りしっかり自分を主張している。
 スパゲティー、アップルパイのパンにグレープフルーツという組み合わせの夕食だ。
 もう今度はかなり立派な形をした1機が月の下を通過した。目で追っていく、、、。
 前の飛行機は見失ってしまった。結局その後が大変!! どこからともなく蚊が出てきた。
 これからがクライマックスだというのに、、、。
 夕日の黄色と、ただの白い線だった月が、今やあの広大な夕日と主役の座を競うほどに美しさだ。
 月、夕日、飛行機、蚊と私がそれぞれの目的で登場した舞台。
 一匹の蚊のために私の出番は終了した。
                  omote-san(24/09/09 4:30pm-5:00pm
  

 59北極の真珠.トロムソ(1)

  
 数年前オーロラを見るためにノルウェイに行った。
 到着した夜、即 オーロラを見る ために部屋を出るようにとのホテルからのアナウンスがあり、何と零下25度以上の庭に立って空を見上げた。
 まさにオーロラは出ていた。

 でも殆ど毎晩のようにそれは見えたし、ホテルの窓からも見える。
 後から聞いた話によると、あの夜、ホテルで小火があったのだという。一本やられた次第!

 当地のオーロラ事情を知っていたら、キッとあの寒空に外出しなかったかも、、、と。朝11時に朝焼け、午後2時には夕焼けで後は、全て夜となる。
あのムンクの『叫び』の悲壮な表情は、日出国、日本人が理解できる代物ではないのではないだろうかと思った。
 
 もう帰国する頃にはオーロラで空を見上げるほどの感動も失せていた。
 日本で想像されるようなモノではなくもっと自然で地味だった。                                   omote-san(24/09/09)



62北極に真珠. トロムソ(2)
 
  黒い島の海岸全体にビー珠を手際よく散りばめたような光景を真珠と見立ては先人に脱帽。納得!
 よく見ると家が,まるで団地のように同じ規模の広さでコロコロしている。間取りまで同じかとも思える。つまり貧富が全くなく、どんぐりのように仲良く肩を寄せ合っている。
 
  夫婦の場合 勿論共稼ぎ 夫か妻のどちらかは税金のために働くのだ。お菓子、果物やお土産に至るまで価格に25%の税金が上乗せされている。重税のメリットとして教育や病院は全てフリーである。子育ても教育も、そして病気をしても何の心配はない。国が、全部解決してくれる。
 
 訪れたのはオーロラ見物がメインだから、ちょうど真冬であった。朝 11時から午後 2時ごろまでが、いわゆる昼間部には、隣の人の顔の判別が付くが、それ以外の時間は暗いまんまである。
 
 世界的にパッチワークが話題になる理由がやっと理解できた。日本でそれをするには、かなり強い意志が必要だろう。しかしここではこの作業に適した充分な時間が流れる。
 
 この国の人々は病気をしてもあまり死なない。いや死ねない。国民を生かす事が国の第一の義務であり責任である。 だから自殺が多いと、、、。毎夜 優雅に揺らめき回るオーロラを見ながら、この国の一人一人の生活をしみじみ思った
  いったい、どこの国の人が、どう幸せなのだろうと、、。
  幸せって何だろうと、、、。   omote-san (01/10/09)



58 朝 5時の鐘 
 
事務所で5時に、お寺の鐘が聞こえる。ゴーン、ゴーン、ゴーンと、それを聞きながらベランダの花に水をやる。
   昨日の愛情のかけ方によってそれぞれの花の今日がある。 山鳩がどこかからともなくホーホーと 聞こえてくる。いつもの朝に、 いつもの鐘の音、鳥の鳴き声、花の色。 それらが嬉しい、、。
  もう 朝の5時が暗くなってきた。一日に後3,4回鐘が聞こえるのだが、朝5時と11時と後 時間が定かではない。一度 寺へ行き尋ねた事はあったがもう忘れた。
  ただ時間がきっかり5時とかではないそうな、頃に鐘を打つと、、、。   ある朝、和尚さんの何人かが,ベイスメント(地下道)の清掃を黙々としているのを見た。
   こうした場所が東京にある。omote-san
(11/09/09)

57 パチンコの台を解読

 友人の母親は,毎月パチンコでコンスタントに何十万円稼ぐ。
 毎朝 お弁当を持って定時に出勤し定時に帰宅する。調子の良い時が一日18万の収益だと、、。
 
 因みにお店は、一日20万が限度だそうだ。彼女 曰く、『ある種の台はもう解読した。』と、あー、人生の幸せ(?)は何の事はない技術を磨く事にかかっている。
 彼女はめっぽう数に強い方らしい。urate-san(31/09/09)

56 私の朝顔の花

 定番の軽い朝食をとる。スタッフの勧めるメニュー、オレンジジュース、ヨーグルト、ナットーとサプリメントを添えて、、。
 連休で水も与えず一枚の葉もなくなった朝顔が,文句一つ言わずに耐えている。それどころ、けなげに一輪の花と付けて微笑んでいる。
 愛されるとはこういうことかと、、、。omote-san(23/08/ 09  7:25am)


55小話

a.砂に額をつけて泣く。ピッチャー.エース。
  そのぬれた砂を集めて袋に入れる。又砂に顔をうずめて泣きじゃくる。
    その砂を集める。あー夏真っ盛り。

b.どれほど、時間の浪費とストレスの源となる。呪ろわれしあの箱。怪物。

c.ゆったり安らか普通の時間、普通の生活東京を離れたつかの間の休息、    こういう日が好き。PCがない。


54 教科書 Progress

 現在 中学高校で主流となりつつある教科書は、New ProgreesとTreasureでしょうか。それにNew Crownです。
 JPPS.まりかがNew Progressを教材にスタートしたのは、平成2年でした。 聖心女子学院中等科3年生の生徒でした。
 この教科書のNo.3には、日本の正規の英語教科書で高2に出てくる独立分詞構文が取り上げられています。
 やっとアルベットが書けて、be動詞と一般動詞の区別ができる子供にそれは酷でした。
  その上 日本語は一字も見当たりません。毎時間 七転八倒したのを昨日のように思い出します。
  しかし努力の甲斐があって、高校では、学年NO.2から3位に上りつめました。  やがて、聖心女子大の英文科に進み卒業しました。
 プロポーションン抜群、知的で美しく成長した彼女を目映く見上げ、誇りに思ったものです。そして職場のも何度も訪ねて溌剌とした行動を楽しんだものです。omote−san(07/08/09)



53賞味期限125歳
 
 天才で人気者の女性講師のお話です。
生徒に絶大な人気者の講師が事務員として働くと、以前の職場は外資系銀行であったのだが、、。『今日は銀行休みです。』と彼女、口座番号をダイアルしていた。
 ラーメン屋で一方のコンタクトレンズをどんぶりに落とした。まずは一方の目で注意深く食べ、おつゆの中のレンズを探した。 ムリ

 退職して暫くして母上から連絡があった。『あの子にも貰い手がありました。安心して下さい。』と、、。母上はお見通しだった。あの隙だらけの人気者。
いつまで経っても会って見たいナーと思う。賞味期限125才。
urate-san(020809)



52 意志のあるところには道がある。

 There's a will, there's a way.

 『日食が曇りで見えなかった。』と悲壮なニュースを聴く。
 会員の1人の家族は、船上から,その日食の映像を息子の携帯に送信してきた。父親の吊り上げた身の丈ほどのカジキマグロの写真と共に、、、、。

 意志が問題であるかも、、、。強い意志は,彼らを.沖縄まで飛ばし、そこから100ヒィートの船舶を出して、太陽を月を追跡した。
 そこまでされてはお日様もお月様も妥協する。 urate-san(22/07/09)


51 米国の日本語教育事情
 (その1) 講師の声 高橋健治

 私は、途中ベルギーで日本語を教えていた時代を挟み、1980年代末から2005年まで長らくアメリカの大学で日本語を教えていました。
 日本語を教えていた大学は、ティーチング・アシスタント時代も含めると、オハイオ州立大学、ジャービス・クリスチャン大学(テキサス州)、テキサス大学オースティン校、グリネル大学(アイオワ州)です。
  今回は、アメリカでどのように日本語が教えられているか私の経験からお話ししたいと思います。 まず日本語も含め外国語のクラスには、10名から多くて20名という定員があります。 

 実際には15名ほどの時が多かったのですが、これは語学のクラスが話し、聞くことをきちんとできるようにするため会話の練習を十分にするという配慮からです。

 
第一学年、第二学年レベルの日本語のクラスは、ふつう月曜日から金曜日まで毎日50分あります。
  出欠は成績の一部として厳しく取られ、授業の進度も速いので、生徒の欠席率はとても低いです。講師は原則として休講ということをしません。私は風邪を引いても、強力な風邪薬を飲んで授業に出たものです。
  米国で教えていた間、学会などの理由は、ともかく病気を理由に授業は、一度も休みませんでした。 (つづく)(01/07/09)



50銀座ライオン


 
先日 松坂屋のレストランで食事をした。今度は、三越で食事をとエレベーターで上階へ上った。ところがかってあれほど盛況だったレストランが地下3階に移動したと、、、。
 やはりいつものライオンに向かった。何と人人人で混んでいる。ここだけが以前の銀座の風景のように思えた。

 入口近くの席に案内された。
 暫くすると隣のOL風の人から話しかけられた。ビーフステーキでビールを飲んでいる。
話す程に、父上と親子で、高校生の時,ここに来たのだと、それでe
父親を偲んでいるという、、、。
 こちらも同じ思いがあった。かって知人と、毎月のように飲んでやっと一人前に飲めるようになった。戦前からのビルだと聞いたこの佇まいはもうタマラナイ!
 隣にシリコンバレーに居て、今の勤務地はニューヨークだという、デーラーが居た。帝国ホテルに宿泊していると、、。不景気だ、トラぶっているとかの話が止まらない。毎年のように来てるので銀座も案内できるほどだと、、、。

 その彼女、結局遺産相続の話になっていた。午後 弁護士に会っていて、その額は億単位である。
 1人でここに入ったのは彼女と私ぐらいのものかも、、、。
 いろんなペアー、いろんなサークルが、集ってそれぞれの話が飛び交い、キーキー、キャーキャー、、、。
 高い天井を見て、ふーっと安らいだ気分になった。こちらもロースト、ビーフを注文した。ちょっといい気分、、、。銀座もいいナーと、、、。 urate-kun (28/06/09)




49 英語と仕事


 
以前 東大を卒業し過去に院教授であったという卓越した学歴のスタッフがいた。誰を担当しても『過去基礎がない。』とのコメント。,生徒からも人気がなく何の科目も生徒も担当できなくなった。職場が間違ったか。
 何でもするとの彼の申し出で、封筒に切手を貼る事になった。切手の位置が封筒の中央にあった。これ面白い、届かないはずはいと投函はした。
 過去の定期の利息では、心もとないように思える。

今朝の新聞記事から、、。
 グローバル経済で成功できる人材は、学閥や成績というよりも、高い意識を維持して変化に対応し仕事と向き合い続ける人ではないか。
 人間としての義、至誠つまり明確な基本的な価値観を持ち、愚直なまでに努力し続ける者が、最終的に組織に、社会に貢献する、成功するのだ。
 中途半端な英語で話すより、まず日本語で高度な議論ができ、適切な 文章を書き、強い主張ができる力を身に着けその上で英語力を養うことが必要だ。                omote-san  (20/06/09)


 48彼女たち姉妹の努力の成果

 『先生 内のクリニックの100周年記念パーティーに来てください。』と連絡がありました。
 旧会員で優秀な姉妹の母上からです。
 幼い可愛いおかっぱ頭の二人の少女は、両親のアドバイスによって素直に小学生の時から英語を勉強始めました。そして,小学生の間に学校の英語教科書中1を完全に習得しました。

 この方法は、英語力を重要視される昨今、まさに大学受検までルンルンで楽勝できます。そして、今年は妹さんが国家試験に合格され、お二人とも念願の医師になりました。 
 
  中学 高校そして大学とも一貫して、誰も設計できない程の絵のような素晴らしい行程をたどりスイスイと夢を現実しました。そして大学では、医学生としてその期間、お二人とも学年1位、 2位の成績で特待生だったのです。
 
 戦う相手は最後まで同級生なのです。それには、単純に彼ら仲間より一歩先んじる事に尽きます。
 
 一方 私ども担当者は、富士山で言えば常に5号目当たりを旋回しています。振り返ってみると、決して機首を上に向けた事がなかったのでしょうか。 このあたりで、幸せを見つけるとしたら、今朝のように招待して頂ける瞬間でしょう。
 素直に心から祝福します。楽しんでいます、そして本当に嬉しいのです。
 
 重い荷物を背負って頂上へと、通過する人へ、もう声 届かず、万年中腹の私達。
 
         omote-san (18/03/09)
 


47 さて、彼の将来は ?
 
 弊社の最初の監査役である弁護士は、東大を卒業し戦後すぐ米国の大学学び、サラブレッドを絵に描いたような経歴の持ち主でした。
 
彼 曰く 『勉強は大嫌いで逃げ回っていたが、試験は実に面白い。出題者の裏をかくのが、これがたまらない。私は、決して乗せられたことがない。試験は技術なのさ。』っと。
 
 当教室にも、時どきそうした類の学生がいます。
  勉強は、まるで大嫌い、努力もしない、遊びは大好き。集中力がなく、散漫で、落ち着きがない、そして全て遊びの方に向かってしまう。
 しかし文法力、単語力、発音等関係なく、英検等試験には高得点で合格するのです。長文も決して全文を読んではいない。読めない。
 
 驚くことに、英検の問題で10人中 10人 が苦手で、時間を要する皆さんご存知の例の2番と5番にくる単語の番号を示せという問いです。彼は、それが得意中の得意で,サクサクできてしまう。彼の頭はどんな構造になっているのでしょう。 カードゲームでも、あらゆる手段を用いて絶対に彼が勝つ。ゲームのスタート前には、一瞬、 思慮深い表情になるのが伺える。
 
 オクト−バーの語源になったジュリアス. シザーの甥 オクタ-ヴィアスは、弱弱しい性格で,病弱であってのも拘らず、どんなゲームには勝利したと言う 、、、。学生の将来を思う時、そこに何か大きなヒントがあるように思えます。
omote−san
(11/02/09)

46 英国の宿とビーフステーキ
ホテルのレストランには、 ポツンと私一人である。コーナーにある網の上の肉から煙が出ている。
『ねーあの肉は私のステーキでしょう? 』と近くの従業員の尋ねた。『いいえ。』と何度も拒否する。 やがて,その肉を乗せたプレイトがテーブルに丁重に来た。
しかもその拒否したフィリピン系と思われるウェイターが運んで来たのだ。『ややり,あれは私の肉だったじゃないですか。』とその料理には、手をつけず部屋へ戻った。 ある貴族の由緒ある邸宅をホテルに改造されたのだという。

間取りも複雑で自分の部屋にたどり着くのが一苦労。
廊下を人が通ると、ミシミシ音がする。6畳ほど暗い部屋である。 まー、しゃーない。これがしばしの仮住まいだと諦めた。このステーキの1件から、一切ホテルで食事は取らないことにした。毎日 朝と晩 ピカデリー.サーカスへ出て中華料理や日本料理を食べた。

そのレストランで、バレー学校に入っている又は絵の勉強で仏国に来て今 英国へ遊びに来ている日本人に会った。 タクシーをチャーターしてオクスホードを見学し、駅からガイドの指示に従い、ストラトフォ-ド.オン.エ-ボンへ行くためバスに乗った。ドライバーに尋ねると別に行き先地名を言う。

それでは、列車で行こうと時間表を見ると、20分以上も時間があった。そこでコーヒーを飲み時間をつぶし、定刻5分前にホームに上がった。ところが、もう列車は出発した後だった。駅員によると、客がいない時はサッサと出発するそうな、、、。
 やれやれ、列車は日本様様だ。日本では、まさかそのような経験はない。結局シェクスピアの生家は、今だかって訪れていない。チャンスを逃すということは、こうした大層な事なのだ。何だか、さっぱり良い思い出もない旅ではあったが、いや、そういう旅ほど、いつまでも思い出される 。
もっと悪い方はあるけれども、止めておこう。本当に暗くなる。時はお正月、寒さこれ上なし、、、。(omote-san 01/02/09)

45 医科大学特待生の姉妹


  旧会員の姉妹が入会したのは小学生の時でした。
小学生の時に中学1年生の英語の教科書を習得しました。中学.高校とも学年1,2位の英語力で成績を維持し、都内の私立大学医学部を現役で5校合格したのです。
昨年 お姉さんは国家試験に合格し、今年 妹さんが国家試験へ向け挑戦中です。
 尚 姉妹ともそれぞれの医学部で学年1位又は3位と特待生で授業料の免除で卒業したと、父兄から連絡が入りました。JPPSマリカは、胸のすくようなこうした会員の快挙に喝采を贈りたい。
そして後輩がどんどん続くようにと祈りたい ! でも、毎年この時期 胃が痛みます。
 ご父兄の方針 文法をシッカリ学習する事は、ピタッと的中しました。
英語は、まず同級生より早くスタートを切る事が得策です。 
日本では、競争相手は、大学卒業まで一貫して同級生です。
尚 外国語を習得するのに文法抜きは想定外と確信しています。彼女らは、最初から正確に読めて話せて、美しい英文が書けました。
omote-san
(09/01/09)

44 ガムの貴婦人

 小麦色の肌が好きで30代は 年2回ガム島に行っていました。そこには、いつも米国人の素敵な老婦人が待っていてくれたのです。
 
彼女は、ヒルトンホテルで食事をし、昼間はそのビーチで音楽を聴いて過ごしています。彼女の家族は、世界中の住みたい町に住んでいるのです。
 銀座や青山道りの有名なレストランを私以上に知っていて、その得意メニューを話題にします。軽やかでときめく世界中の話題が途切れる事はありません。
 超カラフルなビキニの水着でトータルファッション。大きなサングラス、白い貝のネックレス,お揃いイヤリングに指輪そして清清しい水色のマニキュアー等、、、。シッカリ手入れされた艶やかな肌、初老だというのにだ、、、。
 
毎日屈託なくカラカラ笑って過ごしている。ハズバンドは家事が趣味でクリーナーも料理もプロ級だと、、、。本当の豊かな生活がそこにある。豊かさも、まさにピンきりではある。
 あまり彼女のファションも生活様式も参考にはならないが、もっと早く彼女に会っていたら、人生少しは変わったのではないか思ったりします。仕事(勉強も含んで)も遊び(うまく言えませんが絵画 とか楽器とか)も精一杯でいたい。これは車の両輪でしょうか。
 
どちらも同じようにスピードがあってスムーズに前進します。
 さあーもう暫く両輪ともルンルンでフル回転で行こう。ユニークな発想と上等のユーモアで、張り切って、、、。omote-san(15/01/09)


43 武士道
  武士道(新渡戸)を読んでいます。何故読むか?
  素晴らしい日本女性が外国、例えば米国、欧州や中国など男性と結婚し、連れ出されてしまっているのではないかと危惧しているからです。皆で私自身も含めて日本の魂とやらを何だか中途半端に解釈してしまったのではないかと、、、。

 会員の1人の聡明で美しく素晴らしい女性が、やはり外国国籍の人と結婚しています。理由を尋ねると、日本の男性を重苦しい感じてしまうと、、。最初本音は出さないまでも、朝 味噌汁から始まって妻を家庭へしっかり縛りつけてしまう気がして気が進まないと、、、。

 そういうことを思うと2の足を踏むと、、、。妻も自己表現として一生 仕事を継続する等を考える。そして日本男性は相手に対してちっとも 自分の意思表示をしないのだそうだ。
 彼女の夫の長所として、家事全般もベビーシッターも全くスムーズにできる。妻には、どんな話にも参加させので、平等な扱いをされていて、実に心地よい。
 妻が夫からも社会的にも自立していることが実感でき、責任と同時に生きがいを感じると、、。夫はエール大学、法学部を卒業して国際弁護士であるとの事。
 前に米国人の女性で、日本人と結婚した講師がいました。彼女は、夫との生活をはじめと彼の親戚の付き合い等最優先し、高校の教師でありながら,お台所に立ち食生活の責任を果たし,夫を全力で支えている様子が見て取れました。
 男性、女性とも、自分に都合よくアメリカナイズを決め込んでいる感があるように思えます。どうして聡明は日本女性に愛をアッピールしないのでしょう。エール大学を卒業した日本人男性も多いでしょうに、、、。
 
こうした風潮は将来、大変なマイナス要因になるのではないだろうかと、もっとそうなった原因を理由を掴みたいと、その本を読んでいます。
 単に気まぐれにふっと感じたままを書きました。
 全くアウトサイダーで、何でも言える心地良さが、又たまらない。
urate-san(31/12/08)

42 兵馬俑
 中国陜西省西安市郊外の兵馬俑が始皇帝とは無関係との記事が出ている。そこは、広大な別天地ように思えたが、この地下は、まだ発掘作業は継続しているという、、、。

中国の大地は、延々と戦場であり続け、その都度全土が、焦土化した歴史がある。 唯一 遺産を後に残す手段として地中に埋める事であった。
  紫禁城は言うの及ばず、それぞれの皇帝の廟のスケールの大きさには驚嘆する。数箇所そのような廟をみて歩いたが、地下4,5階をエレベーターを使って観光する。
 
山峡下りをした時の事、三国志の舞台でもある白帝城へ登った。中国を牛耳った覇者は身長2m以上、,筋肉隆々、耳が肩まで垂れ下がり、視界が200度、しかも容姿端麗、民衆も魅了するのだと、、。

そうでなければ、あの大地を民衆を一分たりとも纏め統治できなかったのだと、、、。城への階段をこの若さ(?)で籠を使った。心身共に薄弱で小さい自分を一層小さく思えた船旅をした。 omote−san(23/12/08)


41 右脳
  学生の会員には授業中に、眠くなったらシッカリ寝させる。あくびが出たららカードゲームをする。そうした楽しんだ後は、何とどんな厳しい試練にも耐えられる。 これJPPSのやり方。
   眠り達人 類稀な会員がいた。彼はピアノ独奏会に途中眠ってしまったのだ。 
   メロディーが途絶えた。 しかし、しばらくすると、その次のトーンで再スタートし独奏会が終わったという。
  授業中もよく寝たが受験へのあの厳しさのも実に良く耐えた。そしてしっかり父親の母校に合格し、医者になり今渡米していると聞いた。
  
『決して勉強をしなさいと言わないで下さい。』言う母親がいた。彼は美しい母親を愛するがあまり、きちんと背筋を伸ばし机に向かい、鉛筆を持つ。その一連の行動は母親に愛されるため手段であって、結果はまず出ない。


聡明な母親もそれを熟知しているという、不幸なお話。
一番不幸なのはJPPSマリカの講師であった。
  疲労は寝ても解消しない。左右の脳をバランスよく使う必要があるらしい。 
  右の脳、つまり本能的な部分を、生かすことそれがポイントだ。 チャーチルは油絵を得意とした、リンカーンはバイオリンを奏でた。
 
 神はあの冷たい手をかざし冷たい声で、『人生を楽しめ。』と聡す。
  さー来年は右脳で行こうじゃないですか。ナンテ(笑)。omote-san(12//22/08)


40 東京の水故か、魔物が住むか。
 地方(九州、四国そして東北と、、)から英語を勉強するために上京する会員がある。
 ホテルに宿泊又は地方の準教授は臨時に部屋を賃貸する等様々だ。その中の2,3人に会話学校の経営者もあった。月に数週間上京し、学習する。
 
帰郷される最後の日には、別人のように素晴らしい紳士淑女になられ、目を見張る程だ。
 最近良くなった言われる水のせいか。東京には人を変える魔物が住むか。いや一層知的なって頂いたと思いたい。

 第一背筋が伸び 目の輝きが違っている。英語学習は心身共に磨きがかかり 輝き素敵になっていく。生涯教育には、うってつけ!自由自在に正確な英文が書ける事もああって、世界中の人と自由に正確な英語でPCよるチャットが出来るという『おまけ』がついてる。 omote-san(12//19/08)


39 蓮華草

『手にとるなやはり野におけ蓮華草』  熊も猿も山の中、象はアフリカ、白熊は北極と、、、。

それぞれ棲息する場所があり、そこで安らかに命も全うされる。避暑地に植樹した百日紅、7年に経っても一輪の花もつけない。
  幼い頃の思い出をポケットに入れ運ぼうとしたが無駄だったようだ。

夏休み、田舎に帰って室内の暑さに汗まみれになり七転八倒した後帰京した。空調機なしでは生きられぬ種の人間になっている。
ちなみに、この作は、遊女を身請けしようとする友人をいさめたのだと、、、。 omote-san (17/12/08)


38 台湾出身 某教授

 
パーティーで台湾出身の某教授にレクチャーを依頼した。彼は随分フアンが多く電話のベルが鳴り止まず、遠くから聴講に来た人もいた。最初は日本語で始まっていたレクチャーが、外人講師が入室するやいなや英語に代わった。 しばらく緊張し聴力を駆使した時間が流れた。

 『傲慢と言う単語を誰か教えてください。』と教授。すかさずその米国人講師 『フイフティサウザント』と応えた。
 
その教授の本は私のバイブルである。もう表紙も土色になってしまった。彼は学位を取る時、真冬 田んぼの畦道を歩き、朝2時に重い計算機を借り4時に返すというくだりがある。
 
いつも今でも涙が止まらない。彼の小さい手帳には、目標、理由、達成時が明記されていた。カラフルに、、、。
5年の歳月を経け渾身の力を振り絞った教授の分厚い世界史を読みたい。omote-san(12/13/08)

37 あの時、それから、、、。
 銀座のライオンで毎月飲んでいた。弊社の最初の監査役、彼は日本の戦後処理をした程の凄腕の弁護士だったのだと、、。

晩年 少々酒量過ぎて ,元の名声とは離れた彼の人生があった。九州男児元海軍、エリートコースを歩み戦後 コロンビァ大学に留学した。英語も米語 流暢であった。
 
『私は、戦時中から今も、命が惜しいと思った事は一度もないが、弾が何故かよけて通る。』 『私は、勉強は大嫌いだ。第一机の前に長く座っておれない。しかい試験が飯より好きだ。
奴さんと知恵比べをする。

何を企むかとそこが面白い。試験の合否は技術だよ。内の事務員は日本で一番法律を熟知していると思うが資格が取れない、どうも技術が足りない。
私は彼の言う通りに動いているが間違った事がない。』

 『私は、意味なく他人に頭を下げない。政治家にはなれない。ならない。この2本の足で立っている、自分の稼いだ金で酒を飲む。これが性分に一番合っている。』 カッカッカッと笑う。
 
ここから私の酒暦がスタートした。武士道の香り漂う彼の顔を思い出す。一生 優等生いられようか。それには人生長過ぎるかも、、、。銀座のライオンであの席を探す。
omote-san(11/12/08)

36 JPPS学舎の環境

『先生、お話するのも、恥ずかしいのですが、 実は10日程経ちます。家族に言って、もう笑われました。

この通りで困った様子の初老の方が、日赤病院で財布を落として千葉まで帰れません。とおっしゃました。可愛そうでしたので5,000円札をお渡しました。そして返金して下さるために私の住所と電話番号を教えました。まだ返事がありません。どうしたのでしょう。』と会員の1人、、、。

『先生, 僕 授業中に5,6分眠気がさしてしました。私の不徳の致すところです。どうかお許し下さい。』と(講師のe-mail) さしずめワシントンと桜の木。

まるで抵抗力も免疫もない幼児のような集団ではある。

一方 ボスは輪をかけて、ATMの前にいると警察手帳を出した警官曰く、『ちょっと、ちょっと、あなたは振込み詐欺とは関係ないでしょうね。』と、キッと睨まれた。表参道と渋谷で2度までも、、、。 長閑な秋の日のお話です。        (19/10/08 urate-san)


35 学舎環境

『先生、お話するのも、恥ずかしいのですが、 実は1週間程経ちます。家族に言って、もう笑われました。

先日、この通りで困った様子の初老の方が、日赤病院で財布を落として千葉まで帰れません。とおっしゃました。可愛そうでしたので5,000円札をお渡しました。
そして返金して下さるために私の住所と電話番号を教えました。まだ返事がありません。どうしたのでしょう。』と会員の1人、、、。

『先生, 僕 授業中に5,6分眠気がさしてしました。私の不徳の致すところです。どうかお許し下さい。』と(講師のe-mail) さしずめワシントンと桜の木。

まるで抵抗力も免疫もない幼児のような集団ではある。

輪をかけてボスの拙者は、ATMの前にいると警察手帳を出した警官曰く
『ちょっと、ちょっと、あなたは振込み詐欺とは関係ないでしょうね。』と、キッと睨まれた。 長閑な秋の日のお話です。                 (19/10/08 urate-san)


34 私の好きなアメリカの都市.ニューヨーク
私がアメリカ滞在中に訪れた都市の中で一番好きな都市はニューヨークです。
大都市とはいっても、道路が整然としていて、東京ほど過密していないところもいいですが、演劇、美術、音楽などいわずと知れた文化のある町だというところがやはり魅力的です。私は美術が好きなので、ニューヨークの美術館が大好きです。

世界の重要美術品が集まるメトロポリタン美術館を初め、二十世紀美術のコレクションで有名なニューヨーク近代美術館( MOMA)、鉄鋼業による莫大な財産で作られたフリック・コレクション、渦巻き型の建築で知られるグッゲンハイム美術館を見ました。さて美術館を別にして、私がニューヨークで好きなのはベーグル屋とピザ屋です。

前者はユダヤ系、後者はイタリア系の人々がニューヨークで定着させたものです。最近、日本でも見られるようになったベーグルは、ドーナツのような輪の形をしたパンですが、自家製の大きなベーグルを出している店で朝食をするのが大の楽しみでした。

クリームチーズをつけたベーグルとコーヒーのシンプルな朝食をしていると、次々に前の通りから人が店に入ってきます。
ピザ屋もメトロポリタン美術館の近くにお気に入りのところを見つけて、そこへ何度か行きました。薄い生地がカリッとした、とてもおいしいピザでした。

シカゴも好きな都市です。アイオワにいた当時は、車で五時間くらいでしたので、休みのときにはよく行きました。

ニューヨーク同様、高層ビルが多い都市ですが、道は比較的広く、碁盤目のように整然としているのでゆったりした印象を与えます。

地下鉄はないのですが、CTSトレインという高架鉄道が走っていて、移動には便利です。シカゴもピザが有名で、本来はパイのように形の生地のものがシカゴスタイルというそうですが、もちろん、ほかにもいろいろな種類があります。

私はお気に入りのレストランで、ほうれん草とトマトがたっぷりのとてもおいしいピザを何度も食べました。

一番の観光名所はアート・インスティテュート・オブ・シカゴという美術館です。この美術館は全米屈指で、全浮世絵版画など日本美術も含め世界の美術品が集まっています。 (つずく)k.Takahashi. 08/03/22

33  陰翳礼讃
 
  ニューヨークの友人から電話があり、息子が大学で日本学を学びたいと
言う。 その前に何か日本文化についての本が読みたいのだが、英訳された本を紹介してくれと頼まれた。少し考えた挙句、少々難しいかも知れないが谷崎潤一郎の陰翳礼讃の英訳を薦めることにした。

英語のタイトルは文字通り“In Praise of Shadow" である。
現代の日本人が“かげ”と聞くと何を連想するか。光とは反対の暗いものがまず頭に浮かぶが、もともと光とかげとは一体のものである。光あるところには必ずかげが存在する。 

星影、月影、などはそれぞれ光を表す表現である。
 谷崎は光よりも陰をめでる日本人の心情、生活習慣などをいろいろ説明している。 
この本が書かれてから既に70年以上も経っており、谷崎が体験した日本家屋における光と陰の取り入れ方など現在にはほとんど残っていない。
 息子に挑発され私の友人も同じ本を読んだそうだ。
 その友人夫婦が日本を訪れた。 

初めての訪日で、谷崎が礼讃した日本の陰の文化を実体験できると楽しみにしていたようだ。
しかし京都へ行く新幹線から見る景色には谷崎の見た夕暮れに点された民家の裸電球の明かりは存在しなかった。

 車窓からみる明かりはぬくもりとは程遠い冷たい蛍光灯の光だった。
 そういわれると駅からの帰宅途中の道すがら、白熱灯の温かな明かりを点している家はほとんどない。 
 現在の一般的な日本の家屋はこの蛍光灯照明が各部屋を隅々までことごとく照らしている。 陰の無い生活である。
 ニューヨークに長年住んでいたが、今考えるとアパートの中は全て白熱灯の
間接照明だった。 

日本に帰ってから、拙宅に友人が遊びに来たが、
何か落ち着かない様子だった。 あとでわかった事だが、部屋が暗く、陰気くさいと感じたとのこと。

 日本人の感性を育んだ日本家屋。 日本人はもうそうした生活はしたくないのだろうか、と言うのがニューヨークから来た友人の持ち帰った疑問だったようだ。 (12/17/07  palemoon)
 


32 マイアミ・ビーチ
 フロリダ州のマイアミ・ビーチの名は、聞いたことがある方が多いと思います。私は七年ほど前にアメリカ人の友人を訪ねにマイアミ・ビーチに一度行ったことがあります。

 私のイメージは、ヤシの木のあるリゾートとしてだけだったのですが、ここは文化的になかなか面白いところのようです。 着いてからまず知ったのは、キューバ系アメリカ人が多いということです。キューバが共産主義化された際、たくさんの人がアメリカに渡ってきたそうです。

実際、地図で見るとキューバはとても近いのです。通りには、キューバ式の葉巻タバコを作って見せている店があります。スーパーなどでは、キューバを含め中南米から輸入した食品が売られています。
 
私の友人にキューバ風のカフェに連れて行ってもらいました。カフェという名であっても、内部は広く、大きなレストランのようでした。
友人に勧められたものを注文しました。まずコーヒー。これはイタリアのエスプレッソみたいな濃いコーヒーで、やはりエスプレッソと同じような小さなカップで出てきます。キューバ風のサンドイッチというのも食べてみました。

薄切りのローストポークがバター付きトーストにはみ出さんばかりにたっぷりはさんであります。なかなかおいしかったです。
 一つ驚いたことがあります。キューバ系の人の間では、日本の握り寿司が人気だというのです。

実際、レストランの野外テラスでキューバ系の人たちが箸で寿司を食べているのを見ました。本来、生魚を食べないはずの彼らの口に合うというのは意外でした。聞いたところによると、ニューヨークから来た寿司職人がマイアミ・ビーチで開業して成功し、寿司が人気になっていったそうです。

マイアミビーチには、キューバ系の人だけでなく、ハイチ系の人もかなりいるそうです。ハイチもフロリダに近く、ハイチ系の人たちも、やはり元は難民だったそうです。
 ]
私の友人がハイチ料理の小さなレストランに連れて行ってくれ、生まれて初めてハイチ料理を食べました。ヤギ肉の料理と魚のムニエルでした。こってりとした濃厚な味わいでした。
 ビーチは、もちろん素晴らしいです。広大な(?)ヌーディストビ−チがあり、老若男女が皆、裸で寝そべったり歩き回ったりしています。年配のご夫婦も全裸でビーチを散歩していました。私も裸になってしまいました。

特に恥ずかしいなどという気持ちはなくなり、たっぷりとした日光の下、とても気持ちよかったです。
 気候的には雨が多いところらしく、ヤシなど亜熱帯性の木々が至るところにあります。友人の住んでいる一画は、低層の家がゆったりと並ぶ、開放的でのんびりとした南国的な雰囲気でした。
                     (07/12/01 講師:高橋)

31 表参道のお気に入りレストラン

 昨日(11/19) 表参道近くのお気に入りのレストランに行った。そこはブラジルの牛肉中心のバーべキューで人気があり、ランチタイムだと近くの大使館のスタッフもタクシーで集まってくる。10,100円でかなりのボリュームのビーフステーキとたっぷりのサラダにコーヒーが付く。

 たまたまスペイン人の観光客が40、50人が入って来た。100人以上も収容可能なスペイスには、色々な言語が飛び交いはじめ混雑してきた。

 ヴァイキング形式の料理の山が、何度も平らになって行く、、、。カラフルは服装老若男女、何とも心弾む居心地の良い場所のなってきた。ここまで混雑しごった返すと、何故か頭の中が冴えてきてストレス解消になる。

 自分の席の周りに、かなりの空席があるからか。メモをノートに整理し、書物の一切りも読み外に出た。街の雑踏が待ってはいたが何だか、それぞれの環境が至福の時のように思えた。 (07/11/20 omote-san)

 
30 アイオワ州グリネルの町(2)
日本人にとってのアメリカの一般的イメージは、ニューヨークやロサンゼルスなどの大都市、またはハワイ、カリフォルニア、フロリダなどのリゾート地かもしれません。

しかしアメリカの大部分を占める田舎は、普段着のアメリカ人の暮らしが見られる興味深いところです。
 私は、オハイオ州、テキサス州、アイオワ州に住んでいました。一番長くいた田舎は、四年間住んでいたアイオワ州のグリネルです。アイオワ州は日本の四分の一以上の面積がありながら、人口は三百数十万だそうです。
そこで日本の田舎よりもはるかに人口が少なく、地平線の見えるような広大な土地に人家はまばらです。

グリネルは、大学があることを除けばアメリカ中西部の典型的な田舎町で、人口は九千人ほどだと聞きました。町は、トウモロコシ畑と大豆畑の中を通る高速道路を降りたところにあります。高速道路の降り口近くには、低層のホテル、衣類やおもちゃなども売っている大型のスーパーもあります。

週末は、この大型スーパーにしかないようなものを車で買いに行っていました。  車で五分もあれば抜けられる小さな町には碁盤目のような道路が整然と走っています。
町外れの病院以外に高いビルらしいビルはなく、ほとんど一階か二階建ての建物で、町の中心には、住宅のほか、スーパー、レストラン、喫茶店、書店、小さなオフィスなどがあります。

緑は多いし、交通量もいたって少ないので、ゆったりとした印象を与えるだけでなく、かわいらしい町だとも言えるかもしれません。
歯科医院や床屋も含め日常生活に必要な場所はすべて歩いて行くことができます。行きつけの床屋のおじいさんとは、世間話をしました。また雪の積もる冬でも、健康のため、よく歩いてスーパーに行きました。

レストランの数はファーストフードの店を入れても少なく、ヨーロッパ風の料理を出す高いレストランを除き、あまりおいしいと言えるところもありませんでした。中華レストランやピザの店には比較的よく行きましたが、実際は飽きていました。
そこで週末は、よく別の町にあるおいしい中華料理のレストランに友人と車で二十分ほどかけて行っていました。住みだして四年目には、町中に二軒目の中華料理のレストランができ、そこはおいしかったので、よく昼ごはんを食べに行きました。

こんな小さな町が賑わうのは、五月に行われる大学の卒業式のときです。卒業する生徒の親や兄弟がやってきて、大学周辺の路上は車でいっぱいになります。歩道などに急にたくさんの人を見るのは、お祭りのような感じでもありました。(07/10/01講師:高橋)


29  ニューヨークの食文化


  長年ニューヨークに住むと、日本人ではあるがどうしてもアメリカの食文化に適応せざるをえない。 30代ではまだ肉類に興味があり、分厚いステーキなどを旺盛に食べた。 初めてプライム・リブ(prime rib) をニューヨークの老舗のステーキ屋で食べたときの事。
 
ディナーを注文すると、まずサラダドレッシングの選択があり、次に付け合せのポテト、ベイクト・ポテト、またはフレンチフライのどちらかを選ぶ。そして付け合せの温野菜が2種。 サラダと一緒に大きなバスケットに入ったパンがたっぷりのバターと出てくる。

ステーキが出てくる前にこのパンとサラダで腹ごしらえ。 そしてついに100年前から出しているというプライム・リブの登場。 是がなんと大皿からはみ出る大きさで厚さは5センチはある代物である。 一瞬是が一人前かと疑うが、どうも一人で食べる分量らしい。 値段は20年前で25ドルぐらいだったと思う。 

このプライム・リブは実にうまい。 肉は柔らかく、塩だけで十分食べられるくらい肉に味がある。 しかしさすがに全部食べ終えることが出来なかった。残りはドギー・バッグで持ち帰りという結末であった。
 
現在のニューヨークはこうした巨大な肉を出す店が少なくなっている。やはりアメリカ人の中には肥満にたいする恐怖が蔓延し始めたからだ。ニューヨークと言う大都会は世界中の食材が集まるところであるから、これまでアメリカ人が見向きもしなかった食材が注目され始めている。 

その筆頭に上げられるのが寿司、刺身などの日本食である。 豆腐、ひじき、枝豆などを健康食品として中毒気味に食べているアメリカ人が目立つ。 このほか中近東のクスクス、ピタのサンドイッチ、インドのカレー等、ステーキを食べるよりずっと安価に食べられるものがたくさんある。 

現在牛肉はred meatといって敬遠されるようになっている。 しかしやはり血の滴るようなステーキはアメリカ人の口の中に言いようもない郷愁を呼び戻すものなのかもしれない。老舗のステーキ・レストランはどこも健在である。
 
勿論こうした世界の食材が容易に手に入るのは大都会の特権であるから、アメリカのほとんどに地域では牛肉、チキンにポテトと冷凍の野菜という食事が一般的であることは否めない。 
日本食はこれからもその人気を保つだろうが、高価でしかも材料の調達が今後難しくなる事が予想されるので、常食としては楽しめるのはエリートだけになりそうである。(07/09/01palemoon)


28 アメリカ料理  
「アメリカ料理」といっても、多くの日本人はイメージが湧かないかもしれません。実際、ステーキなどを別としてハンバーガーなどファーストフード以外思いつかない人も多いのではないでしょうか。

私もそうでした。ピザは非常にアメリカ化しているとはいえ、本来アメリカのものではないし、多くのものは同様にアメリカのものというよりヨーロッパのものです。しかしアメリカ独特といっていいものも確かにあります。

感謝祭の料理はアメリカ的なものの代表かもしれません。各家庭独自の詰め物(stuffing)をしたローストターキーを何度もご馳走になりました。甘酸っぱいクランベリーソースも感謝祭の料理の付き物です。

最近は日本にもあるベーグルもアメリカ的なものでしょう。本来ユダヤ系の人々のものだったらしいですが、今では全米でとても人気のあるパンです。どこにでもあるルーベン (reuben)というサンドイッチもアメリカ的です。

ハム、ローストビーフなどがたっぷり入ったサンドイッチで、パンは薄くて中身のほうがずっと量が多いものです。  そのほか私の印象に残っているものとして、ウェストバージニア州の知り合いのお宅に招かれたときご馳走になったコーンブレッドがあります。北部より南部などでよく食べるそうですが、トウモロコシの粉で作った微かに甘みのあるものです。

ただパンとは言っても、イーストは入っていないのでスポンジケーキのような感じです。  変わったものとしては、ルイジアナ州ニューオリンズ近くで食べたワニのから揚げがあります。
レストランでは何と「シーフード」として分類されていました!チキンのような味だと聞いていましたが、真っ白い、あっさりとした肉でチキンとも違う食感です。レモンを絞って食べるのですが、特においしいとも思いませんでした。

ルイジアナ州にはケイジャン(Cajun)料理と言うスパイシーな料理もあります。タバスコなど唐辛子入りペッパーソースは、ルイジアナ州が本場のようです。有名な料理はガンボ (gumbo)というスパイシーなピラフに似た米料理です。

そのほかデザートには、いろいろアメリカ的なものがあります。ピカン(pecan)というナッツを使ったピカンパイ、パンプキンパイなどのパイ類、バナナケーキ(バナナ入りパウンドケーキ)、チョコレートチップをたっぷり入れたチョコチップクッキーなどアメリカではポピュラーです。(2007/8/25 講師:高橋)


27 小泉八雲とニューオーリンズ

  怪談、骨董などの作品で知られる明治の作家です。 帰化名が小泉八雲です。 ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)はアイルランド人の父とギリシャ人の母の間に、ギリシャの小島で生まれました。

 その後 父の故郷であるアイルランドへ移住しますが、そこでギリシャ系の血が混じっていると言う事で、差別を体験します。子供の時から内向的な性格でしたが、ある事故で左目を失明し、その傾向はさらに強まります。
絵画に興味を持ち勉強しますが、その才能がない事を知り、ものを書くことに没頭するようになります。 

19歳の時、アメリカへ行く機会が訪れ、中西部のシンシナティの町の新聞社の記者として働きます。当時アメリカの中西部はいわゆるWASPが主流でしたから、その社会にも溶け込めず、彼の孤独感はさらに強まります。 その後ハーンはアメリカ南部のニューオーリンズに移ります。
 
 ニューオーリンズには全くアメリカ的ではない文化が存在しています。もともとその名前からフランスのオーリー家とのつながりがある地域で、フランス領からやって来たいわゆるCreole系の人々が多く住んでいました。

 ヨーロッパとの交易の基点としてさまざまな人種、文化が混沌と交じり合っている街です。ここでハーンの心は癒されます。またこの街の住民たちはヴードーという独特の宗教を信じています。 いわゆる魑魅魍魎とした世界です。
人間の魂を信じ、日々の生活の中でその魂の力を感じているのです。 

こうした生活環境の中で霊魂、幽霊などを身近に感じ、それらに惹かれていくハーンを考えると、後に日本という東洋の島国、その国の出雲で教師としての生活する事になるのは何か、宿命的なものを感じます。その後日本女性と結婚し日本へ帰化します。 
 
 日本人の心、そして魂に関するものへの興味はとどまる事がなかったようです。 小泉八雲の日本文化、日本人の心に対する憧憬や興味は彼のこうした幼少からの孤独さに起因しているように思えます。 
 (Palemoon: Aug. 21, 07)


26 米国で見た動物  
私はオハイオ、テキサス、アイオワ州に住んでいましたが、いくつか野生の動物を見る機会がありました。まずリスです。リスは大学のキャンパスを初め、街中でも数多く見かけました。

アメリカの地方都市はゆったりしていて、街路樹が多いせいかリスはそこら中にいます。人間から食べ物をもらうのに慣れているリスも多数いて、そういうリスは人間に近寄ってきて、後ろ足で立ち上り、堂々と図々しく食べ物をねだります。でも、くりくりした目で見つめられると、かわいくて本当に何かあげたくなってしまいます。  

アイオワ州にいたときは、シカをよく見ました。というより高速道路沿いのシカの死骸でした。晩秋から冬にかけてシカは繁殖期らしく、かなりの距離を移動するそうです。それで高速道路に出てきてしまうシカが車に撥ねられると聞きました。
シカは、夜など道の真ん中に出てきても車のライトを脅威として理解できず、立ち尽くしてしまうらしいです。私も高速道路を夜間に走るときは、いつもビクビクしていました。実際、私の友人がシカを撥ねてしまい、その事故のことを話してくれたことがあります。

彼女は無事だったのですが、車は大きな損害を受け、シカの血や肉が付いて大変だったそうです。
私も田舎道を走っていたとき、三四頭のシカがトコトコと路上に出てきて、びっくりしたことがあります。  ほかに印象に残っている動物はオポッサムです。

オポッサムはカンガルーと同じ有袋類の仲間ですが、雑食性でアメリカには数多くいるそうです。初めて見たのは、オハイオ州でした。
車に当たったのでしょうか。路上で仰向けになって死んでいる、リス大のオポッサムでした。死んだ子供が何匹も母親の体に乗っていました。

二度目にオポッサムを見たのは、テキサス州です。このときは大学のキャンパスで見たのですが、最初はいったい何なのかわかりませんでした。
大きさはネコくらいでしたが、頭の形などこれまでに見たこともない不思議な感じで、尾はハリネズミのように長い奇妙な姿です。

後でアメリカ人の友達にオポッサムだと教えてもらいました。オポッサムは狂犬病に罹っている場合が多く、近づかないほうがいいと聞きました。
(2007/8/17 講師:高橋 )


25 アイオワ州グリネルの町(1)

私は、アイオワ州グリネルという町のグリネル大学で四年間、日本語と明治以降の日本文学、映画の授業を教えていたことがあります。
町の人口は約九千人です。大きなスーパーなど生活に必要なものはありますが、大豆やトウモロコシの畑の中にある田舎町です。千三百人ほどの大学生は、キャンパス内の寮に寄宿しています。

アイオワ州といっても日本人には馴染みがない州なので、どこにあるかもわからない方が多いのではないかと思います。場所は、アメリカの東西のほぼ中央、北よりです。アイオワ州の北はミネソタ州で、ミネソタの北はもうカナダです。 亜寒帯に属す、大陸的な気候で、冬はかなり寒くなります。聞いたところによると、北海道に似ているようです。

十月初めから紅葉が始まり、十一月になるとだいぶ冷え込みます。十一月下旬に、住んでいたアパートのセントラル・ヒーティングが作動しなくなったことがありました。夜中の気温は、たぶんマイナス五度から十度くらいだったのではないでしょうか。厚手のジャケットを着込み、布団を被って寝ました。

凍え死にしなかったのは、なんとも幸いでした! 雪の量はそれほどでもありませんが、やはり三十センチくらい降るのは普通です。十一月下旬から四月上旬くらいまでは、雪が降ったりやんだりで、溶けない雪がほぼずっと見られます。 三年目に滞在した二月の初めだったでしょうか。

寒波があり、昼でもマイナス五度くらいで、雪や氷が溶けないときがありました。とうとう夜の気温は、マイナス二十五度くらいにまで下がりました。生まれて初めて体験する寒さでした。ある晩、大学にあった私のオフィスからキャンパスを横切って、体育館まで歩いて行ったときのことは忘れられません。

フードの付いたジャケットを着ていたのですが、外気の中に出ていると、顔の皮膚が痛くなってきます。もう寒いとかいう感覚よりも、とにかく痛い、それが感想でした。冷凍庫の中に入っているようなものだったのでしょう。皮膚の細胞が即座に凍傷にかかるような感じだったのかもしれません。

体育館はオフィスから五分ほど歩いたところでしたので、暖房の中に入ってホッとしました。 春は遅く、四月下旬からようやく暖かくなってきます。五月の気候が不思議で、寒い日と暑い日が交互にやってくるような感じです。

春というより、冬と夏がせめぎあう、そんな気候でした。夏は日本ほどの湿気はないものの、なかなか暑く、冷房をフルに使っていました。
充分な日光量と気温があるので、夏の間中、アイオワ州では農作物が豊富に作られています。
(2007/7/20 講師:高橋)


24 釜飯

 軽井沢で釜飯を買い車中で食べる。窓から身を乗り出したり、ホームに降りて大急ぎで釜飯を買った頃を懐かしく思い出しながら、、、。味がまるで変わっていないように思える。

 毎年 お気に入りの駅弁を見つけて一途に楽しんでいた。出発の駅で買ったそのお気に入りの弁当は味が変わっているように思える、まるで愛情が感じられない。
 
 そういう事で帰りには昔、懐かしい釜飯を買ったというわけだ。同じ味を保つのも努力は要る。より良くするより難しいのかも知れない。
 かってある老婦人の言葉を思い出した。手紙の挨拶に「お変わりありませんか。」いう言葉について、、、。  
人生において変わることは良い方向への変更はあまりないということだと、、、。

 絶え間なく変わる窓の景色に目をやると、まさに現実の世界。 人の思惑関係なく、情け容赦もなく変化して行く。

止める事、現状維持こそ至難の業だ。英語力しかり。( なぜ英語? ) ならばいっそ日々変わる事に徹してはどうか。より良い方向へと祈りながら、速度ははるかに劣るものの、、、。
 さて最後に平らげるのは、竹の子か、シイタケか又は杏か? 
 (urate-san 2007/7/7)

23  みんなの歌、「ねっこ君」


NHKのみんなの歌の「ねっこ君」をほのぼのと聞いていた。あさひ新聞にその話が載っていて、嬉しくなった。
住まいの横にちょっとした広場があり、そこには八重桜の古木が二本堂々とずしりと立っていた。

吉野桜のあわただしい時期が終わった頃に、そっと八重の大輪を枝一杯 溢れるばかりに咲かすのだ。毎年毎年どんなに、ほっとして眺めたことか。ところが突然工事が始まって、どこかえ持って行かれてしまった。
3,4年その跡地が空しくただの建物に代わってしまった。

あの桜の木はどうなったのだろうと通りかかる度に気にかかり、特に春になる度に物忘れしたような気持ちになっていた。工事現場の人に何度か尋ねてみた。どこかに保管してあるとの事であった。

今 工事も完了して、桜の木が包帯を巻いて重症ではあるが、よろよろと立っている。でも一本だけになってしまった。
その一本は、元の慣れ親しんだ桜の木であるのが確かに解る。植え込みだけなり、少々広々したところに一生懸命に頑張っている。

「お帰りなさい。でもパートナーはどうしたの?又会えたね。
omote-san (2007/6/28)


22 新緑の表参道

 無性にステーキが食べたいと、ランチタイムの締め切り5分前に、お気に入りのレストランに駆け込んだ。
 かなり厚めのビーフステーキが1,100円で食べられる穴場。サラダ、スープそれにコーヒー付き。
広い店内は、隅の客が小さく見えるほど、、、。
 いつもは、魚中心の食事で通していると、月に一度は、こうした厚めのステーキが欲しくなる。
 頭が疲れてガンガンしてきて、気分転換も兼ねて外出したのだが、どうしてここまで来ても、仕事のアイディアを練っている不幸な私がいる。
 
気に入った場所でゆったりと幸せな時間が流れると、結構これぞ!という発想が浮かぶのだ。
 このごろ気が付いた事。それは、決して自分を苦しめてないで、慈しみ愛する事が大切だという事だ。
 そうするとそれなりの見返りがある。静かに食事をした後、読みかけの本も読破した。
 
 次々興味深いアイディアが出てきた。それらを丁寧にナプキンに書きうつした。
 新緑を見上げながら表参道を歩いて帰途についた。  もう梅雨だなー。
 ( omote-san 2007/06/14)


21 庭の貴婦人:雉

ア、早朝の雷鳴の後、珍客到来,足音をしのばせてメガネを探す。芝生の緑が揃わぬ庭に、その紳士の名は雉、、、。

イ、白樺の枯れ木の根元、貴婦人がスックと立ち天を仰ぐ、一服の名画。

ウ、これ程の訪問者、雉の貴婦人。これから一層緑の芝を貼り、落ち葉を拾い素敵になろうと思う庭。

エ、あの貴婦人を映像に収めてはならない。それは、あれ以下ではあっても、同等でも以上でもない。
  想像のみが同等さりとて超えることはない。

オ、誰が教えたあの赤、あの朝日に輝く胸の緑、そして灰色の背、、。
その比率、あの振る舞い、あの姿、  雉の貴婦人、、、。

カ、神に忠実ならば、服をまとってはならない。意図する服はなお更に、裸婦こそ美しい!  神の意図するままに振る舞うあのしぐさ、あの姿、雄雉、、、。
(omote-san 2007/03/31)


20 マンハッタンのバス

 
真夏の昼下がり、マンハッタンのダウンタウンはちょうど,東京の下町のようだ。 子供たちは裸になって開ききった消火栓から噴出す水の中で楽しそうにはしゃいでいる。 そばには簡易着にサンダル履きの主婦たちが井戸端会議をしながら、子供たちを見守っている。 

 この光景を冷房の効いた市営バスの中から見ていたのだが、視線をバスの中に移すと、あるポスターが目に入った。 勿論英語のポスターで、"Poetry in Motion" と書かれている。 
ニューヨーク市の交通局もなかなか粋なことをしている。 英語で書かれた詩を読んでみると、作者の名がAriwara no Narihira となっている。 
 
 あの伊勢物語の在原業平だ。 詩の内容からすると辞世の句のようだが、その和歌をどうしても日本語では思い出せない。
 
 バスで向かったのは癌治療を受け、自宅療養をしている友人だった。
 夕食を一緒にということで、おもたせの寿司を早めの夕食とした。 食後、お茶を飲んでいると、友人は急に何か思い立ったように書斎に行った。

 何かを探している様子だったが、しばらくすると一冊の大学ノートを持ってきた。 ”先日、体の調子が良かったので図書館に行って来たんだよ。
 
 日本の本もかなりあっていろいろページをめくって見てたら、こんな短歌があったんで、ノートに書きとめて来たんだ。”   
 万年筆でかなりの達筆で書かれていた。 “ ついに行く道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりしを... 在原業平” これは単なる偶然なんだろうか。 友人はその1ヶ月後に亡くなった...   
 (4/3/07)
 palemoon)


19 代々木公園の桜

先日(3/11)表参道のお気に入りのレストランで昼食し、幸せ気分になったとこで散歩などして減量をと、原宿を通って代々木公園へ出た。
 
この界隈の通りは毎日変わる事といったら、まるで猫の目のように、、、、。いつ歩いても退屈することはまずない。公園には早咲きの桜がちらほらとピンクになり、優雅な気持ちになったところで転んでしまった。
 
  朝の強烈な雨の後だけに、立派な滑る込みでグチョグチョだ。 誰がどこで転ぼうと、泣こうと、そして笑おうと東京は何のことはない、幸か不幸か完全に無視される。
  その後が大変だー。もうこの際心身ともに開き直って、今度はごった返した渋谷を散策する。

  空は真っ青、空気も風も爽やか、気分が持ち直したところで映画「蒼い狼」を見ることとした。
  この映画のスケールは何と何と、すごい! 男は勝ち誇る事があれほど快感なのだ!女性の不幸と引き換えに、、、。
  
 むしろ彼の終焉まで描くともっと良かったかなーとか、考えたりして、、、。ジンギスカンは、私利私欲に生きた生涯ではなかったとある本で読んだように覚えているのだが、、、。
   この日は、実に思い出として残るような一日であった。   
 (omote-san 2007/3/15)


18 合戦は蛮力の争いにあらず、同時に知的の競技である


江戸城の創健者たる太田道灌が槍に刺された時、彼の歌を好むを知れる刺客は、刺しながら次のごとく上の句をよんだ、

  かかる時さこそ命の惜しからめ
これを聞いてまさに息絶えんとする英雄は、脇に受けたる致命傷にも少しもひるまず、

  かねてなき身と思い知らずば
と下の句をつずけた。

 勇気にはスポーツ的の要素さえある。常任人には深刻な事柄も、勇者には遊戯に過ぎないそれ故昔の戦においては、相戦う者同士戯言のやり取りをしたり歌合戦を始めることも決して稀ではない。
 
 11世紀衣川はかかる性質のものであった。
 東国の軍は破れ、その将安部貞任は逃げた。追っての大将源義家が彼に迫って声高く、「きたなくも敵に後ろを見するものかな、しばし返せや。」と呼ばわりしに、貞任の馬を控えたるを見て、義家大音に

  衣たけはほころびにけり
と詠みかけた。その声終わるか終わらざるに、敗軍の将は従容として

 年を経し糸のみだれの苦しさに
と上の句を付けた。

 義家は引きしぼりたる弓を俄かに弛めて立ち去り、掌中の敵のにぐるに任せた。その故を問いただせば、敵に激しく追われながら心の平静を失わざる剛の者、,恥ずかしるに忍ばず、と答えたという。
                     (「武士道」 新瀬戸稲造ー岩波文庫ー)


17 思い出に残る英語教室の日


 
私がJPPS『マリカ』で英語を習い始めたのは立教女学院小学校4年生の時でした。英語は基礎から学習するようにとの両親の方針により一つ年上5年生の姉と一緒にスタートしました。

 岡田先生に担当して頂き、毎日が楽しく学習の面白さ知ったように思います。その後、中学 高校そして大学と一貫して英語が大好きです。

高校3年生になり受験前に、JPPS『マリカ』で、実際に医学部に合格された先生、田中先生が担当して下さいました。先生ご自身の体験をもとに受験英語は勿論、医学用語、出題傾向や対策、面接、そして論文等細部にわたって指導して頂きました。

 結果として 第一志望校の東京慈恵会医科大学に合格し、仲間と勉学に部活にと大学生活を満喫しています。医学の学問ばかりでなく、準硬式野球部の女子マネージャーの部長になり、学生会の幹部としても充実した日々を過ごしております。

医師として父親の背中を見、家族を支える優しい母の励ましと一歩先を進む先輩としての姉の助言を聞き、そして岡田先生や田中先生をはじめ誠実な講師の方々の協力があり私は恵まれていると思います。
 
 これから使命感を持って医師への道を進んで参ります。JPPS 「マリカ」での学習の日々は、ほのぼのとした思い出として長く残るでしょう。 
  (服部侑衣さん、東京慈恵会医学部医学科4年生  2007/3/1)

(服部侑衣さんは、現役で5大学の医学部、順天堂大学医学部、昭和大学医学部、東邦大学医学部、日本医科大学医学部そして東京慈恵会医科大学医学部に正規合格されました。現在 東京慈恵会医科大学医学部4年生で学年1番の成績です。 お姉さんの服部倫沙さんは、東邦大学医学部の5年生で、学年3番でいらっしゃいます。)


16 雑学徒然草(衣服編
Burberry(バーバリー)trench coatトレンチコート

今、伝統を守ることに生きがいを感じるイギリス人たちの心は穏やかではない。チャールズ皇太子を筆頭に各界の著名人たちが声を高くして叫んでいる。 “バーバリーはイギリス製でこそバーバリーなのだ、”と...競争力を向上するという理由でイギリスのバーバリーが中国へその製造拠点を移す可能性を示唆したからだ。

勿論それによって職を失うイギリス人のことへの同情もあるが、やはり“バーバリー”はイギリスの象徴でなければならない、というのが大きな理由である。 バーバリーの変遷を少し探ってみよう。

イギリスは雨が多く、ロンドンを少し離れると田園風景が広がり青々とした牧草地に羊や牛が放牧されている。雨を凌ぐ雨具。さまざまな工夫がなされたが理想的なものが現れなかった。

しかし19世紀の半ば
Mackintosh(マッキントッシュ)のブランドでゴム製のレインコートが発売され、一時的には重宝されたことがあったが、通気性もなくまたそのスタイルがファッションとは程遠い、ということで更に新しいコートが要求される。そこに登場するのがバーバリーである。 

ゴムではなく通気性の高いコットンギャバジンを使ったのである。防水加工を施し、雨をはじきかつ軽い生地が生み出された。かの南極探検家スコット・アムンゼンがテントやその他の用具をこのバーバリーの革新的な生地を使って作らせ、バーバリー製品がイギリス国旗とともに南極大陸にその足跡を残している。

しかしバーバリーといえばやはりあのトレンチ・コートである。 第一次世界大戦。イギリスの海軍将校がこのバーバリーのトレンチを羽織ることになった。戦場でのその耐久性、そして機能性が高く評価されることになるのだが、やはり一般に普及した理由はそのスタイルにある。現在でもトレンチ・コートというとこのバーバリーのオリジナルがその基盤となっている。

ベルトや襟周りについた金具やカバーなどは単なる飾りではなく水筒や道具を提げたり風を防ぐという機能を持っているのだ。

その後ハリウッドの俳優、女優たちが個性的にこのバーバリーのコートを来て現れる。
カサブランカのボガード、ピンク・パンサーのセラーズ、そして女優では、マレーネ・ディートリッヒやキャサリン・ヘプバーンが有名である。

イギリスで作られるこのバーバリーのトレンチコートはいまでも殆どオリジナルと変わりない。日本製、カナダ製などはやはり亜流という観が否めない。このコートを袖口が擦り切れても愛着を持って着ているイギリス人は未だに多い。
 このコートが中国で製造されるとなるとイギリス人の心から伝統の原風景が消えていくのでは...というやりきれなさが良くわかる。 02/02/01palemoon)]



15 武士が感情を面に表すは、男らしくないと考えられた。

「喜怒色に表わさず。」とは、偉大なる人物を評する場合に用いらる句であった。もっとも自然な愛情も抑制せられた。父が子を抱くは彼の威厳を傷つくることであり、夫は妻に接吻しなかった。

私室においてはともかく他人の面前にではこれをなされなかったのである。
「アメリカ人はその妻を他人お前で接吻し、私室にて打つ。
日本人は他人の前ではこれを打ち、私室にありては接吻する。」と、一青年が戯れに言った言葉の中に、いくらかの真実があるであろう。
            (武士道 新渡戸稲造著ー岩波文庫ー)



14 文化度
 
長いアメリカ生活を終え、日本に帰国以来さまざまな質問を受ける。
主にアメリカと日本の相違に関することが多いが、どちらが良いか悪いかという答えを期待する人も少なくない。
良いところも悪いところもあるのが当たり前であるが、ただひとつニューヨークから東京に帰って毎日の生活の中でつくづく感じるのは、日本は文化的な生活には本当に金がかかるということだ。 
 
 大都市東京のインフラは非の打ち所がないほど整備されているのだが、それを快適に利用するとなるととてつもない金がかかる。いわゆる日本の公共料金は高すぎる。
 
ガス、水道、電気、そして交通機関。 特にJR、地下鉄などは一般大衆のかけがえのない足にしては高すぎると思う。 都バスなども乗り換えごとに200円払わなければならない。
 
 ニューヨークの地下鉄は最近きれいになり以前に比べ安全な交通手段となっている。 おそらく現在では一回乗車の料金は250円位になっていると思うが、250円払えばマンハッタンからケネディー港まで行けるのだ。
おまけに地下鉄の駅から各ターミナルまでただのバスで行ける。 

タクシーを使えば1万円近いところを250円程で行けるということになる。 
日本のJRなどは至れり尽くせりで、コンピューターの音声があらゆるところから発して乗客の便を図ろうとしている。しかし乗客の中にはこのアナウンスや音楽を音の公害と思うものいるということを知っているのだろうか。
 
 このような目先のサービスに大金を使いそれを料金に反映する代わりに、乗車料金が安くなったほうが良い人がどれくらいいるか知ってもらいたい。 快適な文化生活を送るということは、駅や電車の中で無機質な音声を聞くことではないと思うのだが。。。

また日本でコンサート、映画に行くことは非常に金がかかる。 
これなども文化度をしめすバロメーターだ。日本は本当にそんな金持ちの国になったのかと、考えてしまう…
           (2002/1/30  Palemoon)



13 アメリカ人に人気の日本映画
 

 
アメリカ人にとって面白い日本映画とは?外国人と話すとき、結構話題になるのが彼らが見た日本映画です。
私はアイオワ州のグリネル大学というところで、4年間教えていたとき、『日本近代文学と映画』という授業を3回担当しました。
 
この授業を教えるために、映画だけでも80本くらい観ていないものをビディオで観て、知識を得ました。
授業は一学期続くので、約4ヶ月に渡り、日本文学と映画に関してあらゆる質問が来るのです。毎週火曜日と木曜日の2回、それぞれ1時間50分の授業でした。

 最後に教えたときは、毎週違った小説家、映画監督をテーマにし、英語で書かれた彼らに関する読み物教材を与え、エッセイ等の宿題も出しました。学生は毎回25人ほどいたので大変でしたが、アメリカ人の日本文化に対する見方を垣間見ることができて楽しかったです。

 映画監督に関しては、溝口、小津、黒澤、今村、伊丹、北野、宮崎(アニメ)の作品を取り上げ、映画を観るほかにクラスでディスカッションしたり、学期末にレポートを書いてもらったりしました。皆さんはどんな映画監督が人気ナンバーワンだったと思いますか。
 
 答えは伊丹十三監督です。『たんぽぽ』と『ミンボーの女』は、大部分の学生に圧倒的人気でした。ユーモアのほかにアメリカ映画のようなアクション、ドラマチックさ、ハッピーエンディングが特に好評だったようです。
 実際、伊丹監督はアメリカ人に歓迎される映画を作ろうとして、物語作りにアメリカ映画の手法を取り入れたそうですが、、、。
 
 さて第2位は?北野武監督で、彼の人気もすごいです。有名な『Hana-bi』と『菊次郎の夏』を見せたのですが、前者は先の予測の付かないサスペンス性、音の効果的な使い方で、また後者は独特の間の取り方、ユーモアで好評でした。
 
 そして3位は、今井昌平監督でした。『楢山節考』と『復讐は我にあり』は、ともにパワフルさとすごいドラマで学生たちに強い印象を与えたようです。このほか世界的に有名な宮崎駿監督のアニメ『千と千尋の神隠し』もやはり人気でした。
 皆さんも外国人と日本文化について話すとき映画が話題になる事があるのではないでしょうか。時間があるときに有名な映画監督の作品を観ておくと、愉しい会話が出来るかもしれません。                      
                           (講師 高橋)
12 小話  双子の赤ちゃん

双子の赤ちゃんが受胎したとき、10ヶ月間をキープすることは問題があるらしい。
必ず、どちらかが養分を多量に吸収して平等な体力を維持する事はないという、本来人間は競争するように仕組まれているものだろうか。
悲しい、、、。
(urate-san)


11 小話

タスマニアの友人を訪ねた時、その友人の5才になる姪エミリーと2日間過ごした。
顔も仕草も丸い指もそして後姿さえも素敵な女の子 ! 食べてしまいたいほどに、、、。エミリーは、日本からのお土産のオカキが気に入って、ずーっと2日間食べている。

車中では後ろのチャイルドシートで一人。こちらから何か尋ねない限り、全く口をきかない、ポリポリ食べる以外音
もしない。ペットボトルの水を差し出すと、嬉しそうに、大急ぎで飲んだ。

次の日は、観光の飛行機をチャーターした。その時も後部座席で一人 チョコンと座っているだけ、時々振り向くと、清清しく嬉しそうに、にっこり微笑んだ。

何故こんなに良い子なのかと、友人に尋ねた、するとエミリーは、はじめて飛行機に乗せてもらって、その感謝で一杯なのだと、又子供が大人の生活の中で邪魔をする事はまずルール違反で、それはとんでもない話だ。とも言った。

日本での生活が長かった友人は、一言、日本の子供は、躾云々と言うよりちょっと変だと、、、。
親の庇護のもとにいる子供の彼らが、何故主役に躍り出るのだろう、そして何故それを大人が許すのだろうと、、、。エミリーのあの天使のような笑顔は忘れられない。
子供にも人格(?)や性格からからくるモノがある、実にいとおしい、、。         (omote-san 2006/11/15)


10  BULLYING

これは日本語の"いじめ"にあたる英語です。
勿論アメリカの学校でもいじめはあります。いじめをする子供たちはBULLY 、弱いものいじめをするものです。
一般的にこのBULLYがいじめる子供たちはNERD(ナード)と呼ばれることが多いです。BULL は本来雄牛の意味、大きな身体で突進してくる感じです。

ナードと呼ばれる子供たちはおとなしく、人付き合いが苦手で、自分の中で一つのことに熱中するタイプが、その典型のように思われています。度の強い、流行からかけ離れた感じのメガネをかけ、肉体的には痩せて、運動神経もあまりよくありません。

現在日本ではいじめを苦にして子供が自殺していますが、アメリカでは以前にこのナードが逆襲するという映画
が作られました。 普段ブリーたちに痛めつけられているナードが主導権を握るという展開です。

 まあ、この程度なら笑って済まされますが、学校内での鉄砲乱射殺人事件も実際に起きていますが、ここにアメリカの子供と日本の子供の差があるように思えます。アメリカの生徒は自己主張の手段として銃を乱射してから、自らの命を絶ちます。

日本の子供たちは、我慢に我慢を重ねた末に、一人で逝ってしまいます。最後の自己主張が自殺と言う手段
でしかないのは全く悲しいことです。

子供同士が喧嘩したり、苛められたりするのはごく普通のことだったのですが、現在では苛めるほうも苛められるほうも何か暗いものを背負ってしまっているように感じます。 現在社会のあらゆる場面で”恥ずかしい”、”卑怯な”行動が目に付きます。

多数で一人を苛めたり、弱いものに対して自分たちの力を誇示するのは、恥ずかしい、卑怯なことだと子供たち
に教えるのは、誰の役目なのでしょうか...  
  (PALEMOON 2006/11/14)

9 『旦那、顔をお食べになりますか。』

 ある客が、わざと貧乏人のなりをして、廊で女郎を買っていた。
婆さんは、その着物が、ボロボロなのを見て、ちっとも取り合わない。いくら待ってもお茶さえ出さない。

 その客は、「おっかさん、俺、腹が減っているんだが、飯でもあったら、食べさせてくれないか。」
すると婆さんは、「米ひつ空っぽなのに、飯なんかあるもんか。」と言う。
「飯がなかったら、水でも少し持ってきてくれないか。顔を洗いたいから。」
「水屋に、金をやらないもんだから、この節ずーっと、水をよこさんないんだよ。」
 そこで客、懐から十両銀を取り出して、テーブルの上に置き、「これで米を買い、水を持ってきてもらえ。」と言った。

 これには、婆さんすっかり泡を食って、 「あらまあ、旦那、顔をお食べになってから、ご飯を洗いますか。それともご飯をお洗いになってから、顔をお食べになりますか。」と、、、、、。
              (金瓶梅、岩波文庫)     (urate-san2006/10/29)

8 『ハルの反乱(アーサー.C.クラーク )』より

 テクノロジーの進歩により不安、思考力や感情を持つロボット.ハルと、それに管理される人間との死闘が宇宙船で繰り広げられる。 記憶装置はあるが、忘れる装置とウソをつく装置がないハルは、このプロジェクトの真の目的を秘密にするようにと命じられている。  

 真実が語れないと言う理由で、仲間への自責の念にさいなまれていた。 土星への到着、つまり任務を果す寸前についに反乱を起こす。
 
ロボット,ハルは、次々にスタッフを消していくが、一人の生き残りであるボーマン策略を見破られる。ついにハルは、基本的機能の作動システムを残して、『自我』及び『推論』の回路を引き抜かれていく、、、。
 
 チャンドラ教授から最初の授業で習った歌 『テイジー、テイジー、、、、、、、』と歌いながら、無になっていく、、、。
 私たちは、優秀なモノ忘れの装置と、ウソをまことしやかに話せる卓越した能力の両方を持ち合わせている。

ロボットが、人間を出し抜く事ができようか。 サー、どうだ!   
    ( omote-san 2006/10/19)


7 言語と想像力

 最近、的確な日本語が直ぐに出てこない。" ニューヨーク在住約10年経った頃のことだった。

子供の頃から言葉に興味があり、国語は特に得意な科目だったのだが、アメリカでの生活は、仕事、友人等もっぱ英語を主に使う生活だった。 勿論現実に英語で生活するとなると、学校で習った英語では,全く不十分である。 
 
アメリカの現代英語、特に革新の早い技術用語、スポーツ、音楽など文化的な言葉、これらを使いこなせなければ、やはり生活に支障がでる。 毎日の奮闘の連続であった。 

このような生活の中で日本語で想像したり空想したりすることが全くなかった。 その結果として母語である日本語が非常に貧しくなってしまったのである。
 この対策の一つとして百人一首の本を購入。 
中学生時代に覚えた歌が新鮮な感じだった。100首のうち80首くらいは覚えていたが、全くの空覚え、新たにその意味を味あうと作者の心が伝わってくる。 

たった31文字でこれだけ深い気持ち、感動が伝えられることは、今の日本語での意思疎通の状況を考えると奇跡的なことだ。こうして新たなる日本語への挑戦が始まった。
 日本語での想像力が日に日に戻ってくるようだった。 不思議なことにこうして日本語がしっかりとしてくると、英語の表現力も何となくスムーズになったような気がした。

"やはり、言語習得には想像力が必要なのか."
 実感した。 ただ文字にした言葉の中にさらに大きな世界がある。                                 (palemoon 10/17)

6 川柳と小話

ア、老婦人が杖をついて交差点にさしかかる。若いカップルが彼女の手を取り 肩を抱いて、一緒に
   渡る。 3人が渡り切るまでじっとが見守る5,6人、木の葉も染まる昼下 がり。

イ、救急車がピーポーと遠ざかる。『どうしました。』 『事故で今運ばれて行き ました。』
   『あの花束は?』 『あれはあなた昨日の事故ですよ。』

ウ、花が咲いても散っても、木々の葉っぱが芽吹いても落ちても、小鳥が鳴い ても飛んで逃げても
   嬉しくて, 楽しくてたまらない。 
   ここまで来ると限界も見えて、ホッとする。毎日が実に面白い。 ( urate-kun 2006/10/13)


5 素敵で優秀な医学生

『新聞を見て懐かしくお電話致しました。 医科大4年生の娘が、今年学年で一番になりました。
姉も、もう5年生になり学年で三番です。基礎をしっかり教えて頂いた陰です。
有難うございました。

今朝一番の連絡は、以前の会員の母上から、、、。10月一番の嬉しいニュース、懐かしいあの声。

先日ミュージカルを観た帰りに、突然声をかけられた。『先生 私、わたし!お陰さまで今、医学部6年生です。彼は、1年下の5年生ですよ。私たち頑張っています。
本当に有難うございました。』と彼女。ピンクの花柄のワンピースでトータルファッション。
思い出せないほど、完璧!彼女は素敵で美しくキラキラ輝いている。

最近、どうも医学部に合格させなければ感謝して頂けないらしい、、、、、。
どっこいどこで道を間違えた。輝かせる方でなく、輝く方になるのはいつの日か,、、、。
(omote−san 2006/10/07)


4、マナー

携帯電話の着信音がなる。 何のメロディーかサッパリわからない。
”ねえ、今どこなの…” 口先からでるハーフトーンの声。彼女が座っているのは優先席。 
そこでは通話はおろか電源まで切る事になっている。
いわゆるマナーモードも許されないところだ。喫煙している人はさすがに居ない。しかし携帯はなぜか許されてしまっている。

これは多数決の理論が働いているのだろうか。 ”携帯電話。皆で使えば悪くない”
こんな状態で”美しい国、日本”が生まれるのでしょうか。 
 (Palemoon 10/3)



3,猿と雨

猿が電線の上に乗った、歩いた、そして木の葉に隠れた。
もう一匹 おなじ大きさの猿が、おなじ同じ動きで電線を渡る。なんと巧みになんと素早く、、。
この雨の中あれらの猿は、いずこ、まだ電線を渡らない。こちらの山のいずこか、、、。
何か面白い物を見つけたか、美味しい物を見つけたか。

電線の振動が止まった。細い雨と色々な緑の木の葉、雨が屋根にシタシタとただ聞こえるでけ、、。
家があり、人の気配はある。雨の音を聞き、何を食べ、何を思い、何を見て過ごすか。
平和なこの時、時計の針が止まり鳥も鳴かない。   
       (軽井沢にて urate-kun
2002/09/29


2、マンハッタンでのバレーチーム

 大分前のことになりますが、ニューヨークで会社勤めをしているときに、体の調子が悪いのは運動不足が原因、と言われました。

では何かスポーツをしようと思い、友人に相談したところ、ニューヨークに社会人のバレーボールチームがあるので、トライアウトしてみないかといわれ、30も半ばにして挑戦したわけです。
 
日本で学生時代にバレーボールをかなりやっていたので、トライアウトはすんなりと合格しました。しかしリーグほとんどが6フィート以上の背丈でもスパイクの技術など全くないのに、結局身長174cmの僕に回ってきたポジションはセッターでした。

週に2回、仕事帰りに6時から10時近くまで、マンハッタンにある公立の専門高校の体育館を借りての練習は厳しく、始めの1ヶ月は仕事に行くのに足腰の筋肉がカチカチの状態が続いたわけです。

 しかしそれにも慣れ本格的な練習に欠かさず参加、1年もたたずにAチームに昇格。
 Aチームはアメリカ各都市にある社会人チームとの試合に参加します。 フィラデルフィア、ワシントン、ニューオーリンズ、そしてロサンゼルス等、いろいろ遠征しました。
 
そして40を目前にしたとき、40歳以上はシニアチームと言われ、今までの熱情がさっと覚めてしまいました。 

楽しい思い出を胸に、引退を決意。  
"人間何事も引き際が大切。"  その後この言葉の意味を痛感しました...
(Palemoon 2006/09/26

1,昨日収穫した言葉


「若さの秘訣?やりたい思うことを実現するからさ。10年後はもっと若くなっているよ。」
 ーキュウバのある老人の言葉ー

 昨夜は、水泳の後、広告用原稿の校正を計画していたが、校正の部分が急遽芸大の美術館へ行く事になった。

計画は破るためあると、、、。刻々変わる状況、多様な情報そして嗜好に翻弄され万年時間不足、、、。溜め込んだ仕事のしっぺ返しはキット来る。待ったなし、、、。      ( urate-kun 2006/09/24)

  




















































































































































































































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61日常の営み
60三日月、飛行機と一匹の蚊
59北極の真珠. トロムソ
58 朝 5時の鐘
57パチンコの台を解読
56私の朝顔の花
55小話 夏真っ盛り
54 Progress
53賞味期限125歳
52意志のある所に道がある
51米国の日本語教育事情(その1)
50銀座ライオン
49英語と、仕事
48彼女達はやりました。
47さて彼の将来は、、、?
46英国の宿と.ビーフテーキ
45医科大学特待生の姉妹
44ガムの貴婦人
43武士道
42兵馬俑
41右脳
40東京の水故か魔物が住む。
39蓮華草
38台湾出身 某教授
37あの時、それから
36jpps学舎風景
35学舎環境
34私の好きなアメリカの都市ニューヨーク
33陰影礼賛
32マイアミ・ビーチ
31表参道のお気に入りレストラン
30アイオワ州グリネルの町(2)
29ニューヨークの食文化
28アメリカ料理
27小泉八雲とニューオーリンズ
26米国で見た動物
25アイオワ州グリネルの町(1)
24釜飯
23みんなの歌「ねっこ君」
22新緑の表参道
21庭に貴婦人:雉
20 昨日今日とは
19 代々木公園の桜
18 武士道
17 思い出に残る英語教室の日々
16 バーバリートレンチコート
15 武士道
14 文化度
13 アメリカ人に人気の日本映画(06/12/21)
12 双子の赤ちゃん ('06/12/20) 
11 タスマニアのエミリー (06/11/15) 
10 BULLYING (06/11/14)
 9 お顔を食べますか (06/10/29)
 8ハルの反乱 (06/10/19)
 7言語と想像力 (06/10/17)
 6 嬉しくて愉しくて (06/10/13)
 5 素敵な医学生 (06/10/07)
 4 マナー (06/10/03)
 3 猿と雨 (06/9/2)
 2 マンハッタンバレーボール (06/09/26)
 1 若さの秘訣 (06/09/2